同窓生は今

今人生、真っ盛り 〜30期(陸)〜(3)

2024.12.16

生まれ故郷の絆 ~40年振りの節句の行事への参加~

  鈴木 直栄 (30期 陸上) 20241213_jinsei03_suzukinaoei01.jpg

 昔を懐かしむことは現役自衛官の時もよくあることでしたが、現役を退いてからは余裕もでき、昔の思い出の場所に身を寄せて、童心に帰って懐かしむことができるようになりました。それは、幼少期や郷里のことだったり、30年も前の子育てのことだったり。本稿では、そのうちの一つである、私が生まれ育った郷里で行われている節句の行事を紹介かたがた、40年の時を超えて私がこれに参加するようになったことについて寄稿させていただきます。
 私の郷里は、新潟県白根市(現 新潟市南区白根)で、毎年6月上旬に約300年続く年中行事の町内対抗の凧揚げ合戦(白根大凧合戦:しろねおおたこがっせん)が開催されます。子どものころからこの行事への思い入れが強く(ほとんどの子供たちがそうだったと思います)、大人になったら当然のことのように地元に根付いてこの行事に主役として参画するものだと思っていました。現実としては、ゴールデンウィークの開催ならばともかく6月の行事ですので、防大入校を機に郷里を離れて以来、凧合戦に参加したことはありません。20241213_jinsei03_suzukinaoei02.jpg見に行ったのも防大入校以来の約40年間で僅か2回だけです。それでも子供のころから慣れ親しんできた行事ですので、全国のどこで勤務していても、毎年この時期に“いよいよ節句だ、凧合戦だ。”と思わない年はありませんでした。

 その白根大凧合戦といいますのは、信濃川の分流である中ノ口川を挟んで両岸から大凧を揚げて絡ませ、凧の綱が切れるまで引き合い、勝敗を決める行事です。大凧は、24畳もの大きさで重さも約50kgあります。20241213_jinsei03_suzukinaoei03.jpg凧は、幅5~10cmの竹を組んだ骨組みに和紙を貼ってできており、凧糸も麻縄を編んだ直径2cmほどの綱が使用されています。そして、10人以上の大人が川沿いの土手を一斉に走って凧を上げ、川の上で東岸と西岸の凧を絡ませて引き合いをします。大きな凧に大勢の力と技が共演をしますが、凧が絡んだ時の竹の骨組みが折れるバキバキという大きな音や、凧の綱がピンと張った時の水しぶき、そしてその後の綱引きはまさに迫力があり勇壮そのものです。

 防大入校のために地元を離れるにあたり、近場の同級生たちからは、“なぜ離れた大学に行くのか”、 “防大を卒業したら地元に戻れるのか”等々、色々言われました。20241213_jinsei03_suzukinaoei04.jpgもちろん、仲間内では私同様に地元を離れて、のちに関東圏に就職した者もいましたが、決まって毎年凧の準備を含め本番にはしっかり参加して年齢を重ねていたようです。このため、地元を離れて以来、まったく参画実績のない私にとっては、郷里の凧合戦の行事からは距離ができ、せめて遠目で観覧するだけの存在になってしまったと認識していました。そのような状況でしたが、一昨年、仲が良かった近所の同級生から「今度還暦凧を作って参加しようと思うので是非!」と誘いをもらいました。どちらかというと「自衛隊を退職したんだから来られるだろ!」に近かったでしょうか。そして、開催ひと月前の作業現場に寄せてもらい、一緒に鼻緒たてをしました。現場は、初対面の若い衆だらけで、知っているのは同級生と年恰好の近い近所の後輩でしたが、快く仲間に入れてもらいました。20241213_jinsei03_suzukinaoei05.jpg同級生たちは、さすがに年季の入った大凧職人でした。また、町内の凧合戦のメンバーたちからは、準備・本番に掛けるすごい熱量を感じました。その彼らから「ずっと自衛隊で全国を飛び回っていたそうで、やっと戻って来られましたね。直栄さんの話は先輩たちから聞いています」と。彼らの支えのもとで、盛大に還暦凧揚げが実現しました。対岸の大凧との絡み合いには至りませんでしたので、引き合いの勝負はできませんでしたが、すっかり地元の人間に戻った喜びと懐かしさを精一杯感じました。そのあとの打ち上げを含み、大昔の幼少期に戻って、同級生や令和で青春を送るメンバーたちと和気藹々、楽しい時間を過ごしました。そして、「是非、来年も再来年も」と声を掛けてもらい、この6月には子孫を連れて行き、2年連続で参加させてもらいました。「白根大凧合戦」は一見の価値があります。どなたも是非1度はご覧いただいてみてはと思います。
 今では昔を懐かしんでは、エネルギーに替える日々を過ごしています。

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