防衛大学校関連

新副校長に聞く

2019.03.19

「大学淘汰時代への入り口に立って」katsuki.jpg
  
  防衛大学校副校長(教育担当) 香月 智

 同窓会の皆様におかれましては、前線の勤務で、緊張の毎日かと拝察申し上げます。このたび、教育担当副校長に任じられました、防衛大学校23期生の香月です。よろしく、お願いします。
 せっかくの機会ですので、防衛大学校教育が追う二兔のうちの一兔である「防衛大学校の大学教育」について、一文寄せさせていただきます。
 手元にある資料によりますと、昭和19年における大学数は、49大学(帝大7、官公14、私大28)とあります。約10年後の防衛大学校が創設された昭和30年頃の大学数は、大学総数は226、国立大学の定員は、4万6千人弱、大学進学率(18歳人口比)は8%弱、高校進学率は50%強です。戦前と戦後で、極端に「大学の実態」が変化していることが分かります。社会的な認知は、事実より遅れて形成されますので、防衛大学校創設期の諸先輩の中には、「そんなに大学があるはずがない」とか「大学進学はもっと狭き門だった」と感じておられるのではないでしょうか?
 ちなみに、大学設置基準は、昭和31年に制定されたそうです。その上位法である昭和22年の学校教育法には、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とあります。昭和22年の大学進学率は7%程度ですので、集団の中核を担うべきエリート教育のにおいがします。
 これを踏まえて、「(防衛大学校の)教育課程においては、大学設置基準に準拠して、一般教育、人文・社会科学又は理工学および防衛額に関する学理及びその応用を授け、幹部自衛官として必要となる学力及び技能を育成する」と、防衛庁訓令に定められたのは、昭和36年のことですので、防衛大学校の創設期には、「大学教育を行うこと」が、「大学」校としての自意識の表われだったとも考えられます。
 大学設置基準が施行されて、30年後の平成3年に大学設置基準の大綱化というものが行われます。そのときのキーワードは、「大学の大衆化」であったと記憶しております。大学進学率が50%を超えるので、「もはや、大学はエリートを養成するためのものではない」ということでした。この時期に、防衛大学校は本科卒業生への「学士授与制度」が発足したのです。
 それから30年弱を経て、平成30年における全国の大学数は、779校であり、総定員は約60万人となりました。大学進学率は、60%弱ですので、中学校の同級生10人中の6人がエリートというのは、確かにおかしな話となります。つまり、平成3年における文部科学省の未来予測は、的を射たものであったと言えるでしょう。
 現在、その適切な予測能力のある文部科学省が、大学入試制度の大幅な修正について議論していますが、その背景にあるキーワードは、「大学淘汰」だそうです。一昨年に、大学総定員数と総受験者数が均衡する「大学全入時代」を迎えました。そのうえで、今後十数年で、総受験者数が、現在の総定員数の80%程度にまで減るものと予測されています。
 以上述べてきた大学に対する雰囲気の変遷を模式的に示すと、図のようになります。高校生の会話で想像しますと、防衛大創設期には「ええっ、大学に行くの?(羨望)」が、平成に入りますと「大学に行く(感嘆詞なし)」になりました。そして、平成の次の時代には、違うトーンの「ええっ、大学に行くの?(懐疑的疑問符)」に変わりそうです。
 今では、私立大学はもとより、国立大学も、独立行政法人化され、「大学経営」を求められております。一方、全大学が現状に対して相似的に縮小して、経営上の均衡点を見つけることは、極めて困難です。その結果、「選択と集中」と言われる作用が、強く働くことになるでしょう。
 そのうねりの中で、防衛大学校が外部から「選択される大学」であってほしいものです。そのために、同窓会を含めた組織内部において「選択される大学たれ」と、欲する空気が継続して存在し、時宜に応じた動きを生じさせてほしいものです。

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