國分学校長に聞く
2019.03.19
防衛大学校長 國分 良成
わが国の大学進学率は60%に近づいており、まさに誰もが大学教育を受ける時代に入っている。しかし、その大学がいま大きな転機を迎えている。急激な少子化と多すぎる大学の矛盾(約800校)をどう解消するのか、一般教養課程を存続させるのか、文系の存在価値は何か、入試制度をどうするのか、等々が大きな課題として共通に認識され、全国の大学を揺さぶっている。
まず、少子化と多すぎる大学との間の矛盾について考えてみよう。すでに、大学の合併・吸収、自然淘汰が現実の課題として浮かび上がっている。少子化により学生定員の充足が果たせなくなった大学の数は多い。そこで、各大学はいかに学生を呼び寄せるか、頭を悩ませている。方法としては、普通の入試だけでなく推薦入試やAO入試によって学生を確保する、あるいは留学生を増やすことで(特に中国などアジアから)定員充足を満たす、などが一般的である。しかし全国の大学が一律に同じような方向に動く結果として、学生獲得競争はさらに激しさを増すこととなった。
もう一つは大学の魅力化であり、例えばスポーツに対する重点化。メディアで取り上げられる頻度の高い駅伝やラクビーなどに有力な選手を集め、宣伝効果を狙う。駅伝などでは、駅伝出場の常連校が有力高校生を獲得するためにしのぎを削っている。それ以外には、看護、介護、IT、芸術、国際性など、学校の専門性を明確にし、一定の学生層を狙う、あるいは大学の様々な施設や環境の良さをアピールする、などの動きが見られる。
一般教養課程の位置づけについても大きな議論がある。これはすでにかなり前から議論が交わされていることだが、一般教養課程と専門課程の間の有機的連携の欠如である。一般教養では専門の学科以外の第1・第2外国語、歴史、文学、数学、生物、芸術、保健・体育などの科目が並ぶが、専門科目とのつながりが明確ではない。また、一般教養の教員たちは所属する専門学科と研究上で直接に関連性がない場合が多く、となると人間関係を含めてつながりが希薄になってしまう。一般教養課程は欧米の大学のリベラル・アーツをモデルにしたものだが、それは似て非なるものであった。率直に言えば、わが国の大学では専門課程に押されて、個々の教員が専門課程と有機的な関連もないままにそれぞれの興味の範囲を教えるだけになっていた。
こうした矛盾を解消しようと、多くの大学で一般教養の教員たちを一つにまとめて新学部や語学センターなどを作り、独立性を保たせる方向に動いた。こうした動きの背後には、一般教養の縮小化と専門重視の動きがある。総合大学は別として、比較的小規模な大学はそれぞれの特徴を出そうとしており、またそうでなければ生き残れなくなっている。最近、医療福祉、調理、アニメ、ファッションなどの専門学校を大学に格上げする専門職大学の動きが顕著であるが(大学への申請数は多いが、認可されたのはまだ少ない)、それはまさにこうした事情を背景にしている。
一般教養の問題と関連もあるが、文系学部の縮小もしくは廃止の議論も根強くある。将来はAIを中心に科学・技術・情報の世界が広がり、科学的で明確な結論の出にくい文系は不要ではないかとの議論がそれである。特に、文学や哲学といったような部門に対する風当たりが強い。全国約800の大学のうち、約8割が私立、そして私立の多くは文系である。確かに、大銀行などの話を聞いても、将来的に支店はほとんど消滅し、文系中心の営業の仕事は先細りとなり、AIがそれに代わるという。しかも、人口減少によって国内の市場価値は小さくなり、もっぱら営業は中国を中心としたアジア世界に広がるであろうと言われている。
しかし、文系の重要性は人間性の成長と関わりが深いことを忘れてはならない。現実社会や人間関係はすべてが0(ゼロ)と1の間で割り切れるものではなく、実際にはその間は無限である。文系では、特に哲学、文学、倫理学、歴史学、心理学などは、今後理系中心の社会となっても不可欠な学問分野であるように思われる。なぜなら、それらは人間形成に欠かせないからである。
文科省の指導のもとで、入試改革も急激に進んでいる。従来の入試センター試験は廃止となり、代わって来年度から大学入学共通テストが導入される。知識偏重から、記述式の試験が増え、英語も幅広く読む、聞く、話す、書くに力点が置かれる。また、英語に関しては英検など民間の試験の成績提出などが課される予定だが、東京大学などはこれを必須としないと発表し、文科省の方向性に必ずしも従っていない。
さて、これらの動きに対して防衛大学校はいかに対応するのか。当然ながら、一般大学と足並みをそろえる必要がある部分とそうでない部分の両面がある。防大の場合、一般大学と共有する課題は、少子化による受験者数の減少をいかに食い止めるかという点である。それ以外の部分では防大特有の目的と性格を優先し、重視しなければならないことが多い。少子化による受験者数の減少を避けるために、防大と自衛隊の魅力を若者に伝える努力を続けなければならないし、それと同時に、絶えず入試について最善の在り方と方法を検討し続けなければならない。
言うまでもなく、純粋な国立大学である防大が、学生獲得のためにスポーツやその他の面で優遇策を取ることなどは絶対に許されない。とはいえ、防大にはもともと一つの大きな優遇策が存在していることを忘れてはならない。全国の大学は奨学金の創設に頭を悩ませているのが現実だが、防大は学費がかからず、しかも学生手当もあるという点である。今日では約半数の一般大学生が何らかの奨学金を受け取っている。多くは貸与であり、卒業後返済の義務があるため、過重負担となる場合も多く、社会問題ともなっている。
防大は幹部自衛官の養成を目的とする学校であり、その出発から究極の元祖・専門職大学でもある。しかし創立当初から防大は一般大学と同様に専門の学科を多数もち、一般教養科目と専門科目に分かれており、この点で一般大学と差はまったくない。しかし一般大学は現在、教養科目を減らして専門教育を重視する方向に徐々に進んでいるが、防大ではむしろ一般教養を重視する方向に動いている。それは最近、防大に教養教育センターが設置されたことにも現れている。
防大教育は知・徳・体の三位一体の形成を目指しているが、最終的には国家・国民・世界のために一生を捧げる使命感を涵養することに目標がある。部下から、そして国民から信頼されるために、幹部自衛官となる防大卒業生は知的に武装された人間性を備えていなければならない。そのために一般教養と読書力、それに国際性と語学力が必要である。つまり、防大教育において幅広い教養を軽視することはできないのである。
文系の縮小・廃止についていえば、防大でそれはありえない。むしろ今後の世界で重要なのは文理融合である。今後、ハイテク化やIT化が急速に進むにつれ、防衛分野でも理系的センスがより重要となることは明らかである。しかし同時に、今後の複雑な世界状況を考えると、国際関係や地域研究の知識、それに歴史的視野が必要とされる場面も多くなるであろう。それに加えて、前述したようにリーダーとしての人間的魅力を形成するうえで、哲学、倫理学、史学、心理学などの分野が重要性をもつことになると思われる。
公務員組織の習性を分析した『パーキンソンの法則』(至誠堂、1961年)で有名なC・N・パーキンソンによれば、公務員制度は中国の科挙制度を東インド会社が人事採用で導入し、それをイギリス政府が検討と改良を加えた結果、1855年の公務員選抜制度に取り入れたという。そのときの行政官ポストの試験制度の基本は、「その文学的性格にあり、古典の知識、作文、作詞の才能、試験の全過程を完遂する精力などをテストするものだった」(同書、72頁)という。
生存競争時代に突入した一般大学と異なり、防衛大学校は日本において唯一無二の大学であり、一般大学と同じようにバタバタ動く必要はない。しかし一般大学が抱える課題は、防大にとって必ずしも対岸の火事ではない。今後とも、世界情勢や時代状況を見極めつつ、それらに即応しつつも、同時に将来の幹部自衛官養成という我々の使命に特有の教育体系を絶えず模索し続けなければならない。