同窓生は今

拡大対番会~防大1年生まで40年を超えるつながり~

2018.03.22

 皆さんの「対番」系列は、どれくらいつながっていますか?
 同期会で顔を合わした時に聞いても、せいぜい孫対番までしか知らないのがほとんどですし、まして退職をしてまで対番会を開くことは希なことだと思われます。
 通常そのような対番系列ですが、このたび平成30年3月上旬に、23期の私を最古参に、現防大1年生である65期生まで、優に40年を超える「大対番会」が開かれました。
 一般の中高生から自衛隊の学校に入ったばかりの、右も左もわからぬ新入生に、上級生がマンツーマンで生活全般を指導する「対番」という制度は、防大だけでなく、航空学生、高等工科学校にも取り入れられているようです。海軍の先輩によれば、元々は海軍兵学校にあった制度だそうですが、おそらく防大等の職員になった海兵出身の幹部により、「対番」という名称もろとも取り入れられたのだろうと推察しています。
 ご存じのように、防大では、新入生を迎えるにあたり、新1年生一人ひとりに2年生が兄貴分の世話係として指定されます。そのように毎年新入生が入るたびに、2年生に進級した学生が次の新1年生を指導することが繰り返され、対番関係は連綿と続いていくことになりますが、事情あって退学/退職する者もいるので、途切れることもよくあるわけです。また「対番」による指導そのものは、新入生が学生生活に慣れれば必要なくなるので、対番関係が希薄な場合も多いものです。
 そのように繋がり続けること自体が希有であるにもかかわらず、防大23期の私から、65期の現1年生まで、42年にわたる系図をたどり、"奇跡的"と言っても過言でない「大対番会」が開かれました。途中で断絶した系列もある中で、2年3年時に対番を2人取ったところから枝分かれした"分家"のおかげで、さながら徳川家や島津家のように命脈を保ってこられた模様です。
 実は、この対番系列が途切れなかった大きな理由があります。それは、私が卒業時、下の対番に託した「対番系列アルバム」でした。卒業生はアルバム1ページに写真とコメントを残し、下の対番に託し続けられました。途中で所在不明になる危機もあったようですが、「実家の納屋で見つかって・・」復活するなど、細い糸は繋がり続けました。
 「大対番会」では、東京近辺に在住のOB及び陸海空自衛隊で活躍する幹部に加え、現役4年生から1年生まで、現役学生が7名を含む28名が参加しました。持ち寄ったアルバムや電子ファイルの写真を見ながら、今では将官になった先輩が学生時代の初々しい姿を肴に、"あのころ"にタイムスリップして時が経つのも忘れ、大いに盛り上がった大対番会となりました。まもなく卒業し任官する4年生も、"兄貴"たちの暖かい励ましの言葉に不安を払拭できたことと思います。
 最後に乾杯の発声を指名された1年生の「この素晴らしい対番系列を絶対に途絶えさせないよう頑張ります!」と力強い宣言とともに杯を上げました。
 思い返せば対番は、厳しく近寄りがたい上級生の中にあって、何でも相談できる一番の兄貴でした。新入生の失態は指導にあたる上の対番の責任だとし、一緒に叱られたり、反省文を書いたり罰当番を受けた記憶もあります。
 親元を離れ、初めての団体生活で兄弟のように苦楽をともにした特別な人間関係は、何十年たっても色あせないことを実感した時間でもありました。

   拡大対番会.jpg

                                 防大23期(海)OB 福本 出

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