今人生、男盛り(23期ーその3)
2018.01.19
海23期 福本 出
1 ストーム・トゥルーパー?
我々本科23期生は昭和54年3月に卒業し、平成30年度末には防
大卒業40周年を迎える。再任用された特例者を除くすべての同期生が
自衛隊を辞した今を、私たちは「余生」と呼ぶのだろうか。還暦を迎え
たとは言え、誰一人そのような意識は持っていないと思う。
しかし、同期や先輩後輩のクラス会やOB団体の会合等に出席してみると、退職後の生き様は、望むと望
まざるにかかわらず各人各様であり、退職後の人生に対する意識の隔たりは、時間が経つほど大きくなって
いることを感じるのである。
「UNI-FORM」という言葉どおり、自衛官は同じ服装をするだけでなく、敢えて反論を恐れずに言
えば、自衛官そのものが即座に取り替えがきくよう教育訓練されてきた"規格品"である。極端な話、人気
映画「スター・ウォーズ」に出てくる全身白ずくめの装甲をまとい、誰が誰やら個性ないストーム・トゥル
ーパーになぞらえることもできよう。自衛官としての生涯を通じ、危機管理の名のもと、常に最悪の事態に
備え精鋭無比であるよう鍛えぬくと同時に、蓄えた実力が決して使われることがないようあらゆる面で努力
を重ねてきた。ある日、忍耐と緊張の人生に終止符を打って制服を脱ぎ、一人の人間として解き放たれた途
端もぬけの殻となり、組織や階級という装甲を喪失した裸の自分がさらされる世間の厳しさを感じたのでは
ないか。
「就活」を経験せず、エスカレーターに乗ったごとく同期が揃って自衛隊に入隊し、そこに準備されてい
た「A幹1課程(B)出身」という軌道に乗って進んだ防大出身者にとっては、自衛隊を卒業し、制服を脱
いで社会の荒波に飛び込むときこそが、ある意味独り立ち人生のスタートなのだ。
「"自分"マイナス"自衛官"=ゼロになってないか」。これは、副校長、校長として二度にわたり若い
世代と親しく対話することができた幹部学校勤務を通じ、学生たちに力説してきたことである。そして自分
自身が退職したいま、その指摘が間違いでなかったことを強く感じるのである。
2 自衛官にとっての人生100年時代
昨今、英国の社会学者リンダ・グラットン教授の著書『LIFE SHIFT~100歳まで生きる時代
のワークスタイル』が注目されている。戦後、日本人の平均余命はほぼ10年ごとに2年ずつ延びている。
見方を変えれば、前の10年と比較したとき、1年が14ヶ月、1週間が9日、1日が30時間になったも
同じなのだ。人生80年時代の社会常識であった「教育」「勤労」「引退」というライフサイクルが成り立
たない時代になったと指摘される。いわゆる"老後"の経済的な現実に目を向けても、もはや年金だけで完
全退職後に続く長い時間を安寧に生きることは不可能であり、「生きるリスク」という言葉まで生まれてい
る。"引退後は余生を楽しむ"という時代の終焉である。
防大入校から数えて50代半ばの退職まで制服人生が38年前後として、半数近い同期は自衛隊員ではな
い人生をより長く生きることになる。この春防大に入校する本科66期生に至っては、"老化"は治療でき
る症状となり、まさに"100年ライフ"が待っていると言われる。
そこで求められるのは、老後を単に健康で豊かに暮らすということではなく、「いかに長く生産性ある人
生を送るか」である。そのために必要とされるのは、金銭などの有形資産だけでなく、「無形資産」が重要
となると説かれている。ここにいう「無形資産」とは、①組織や肩書きに依らず生涯の生産性を高める知識
やスキルなど個人の価値であり、②長い人生を通じ働き続けるための健康やストレスマネジメント力であ
り、③個々の人間としてのイノベーション力、自分を変える力だとされる。この三つ目の個人変革力こそ
が、自衛官OBに問われているのではないかと考える。
3 第一線で活躍するOB
私は退職後、ある小さな防衛産業の研究所長に就任した。私より前からここにいた陸海空各1名の元幹部
自衛官について紹介したい。多くの防衛産業と同じく、彼らは、製品が使用される部隊運用や契約調達業務
について、会社の技術陣や営業陣にアドバイスする顧問として配置されていた。しかしその実態は、はっき
り言って、来る日も来る日も朝から晩まで「ヒマ人」だった。
私はかつて地連部長として退職自衛官の就職援護に携わったとき以来、元自衛官という人材は、実は極め
て多種多様な仕事に従事できる柔軟性や適応力があるにもかかわらず、一般にはその真逆に「つぶしがきか
ない堅物」と思われていることへの歯がゆさを感じていた。そうなってしまう理由は、前項で述べたよう
に、退職する自衛官側が、新しい環境に変貌しきれないということも否めなかった。
私は自分の部下となった元自衛官に、もう一度初心に戻って汗をかくことを説得し、会社の経営陣には、
彼らの能力を活用すれば、さらに大きく貢献できることを訴えた。紙面の都合で詳細は省くが、経営陣への
上申が認められ、彼らは現在、本来期待されていた自衛隊時代の知識経験に基づく顧問業務に加え、会社の
ラインに入って期待以上の成果を発揮している。
陸自OBは産業カウンセラーの資格を取得した上で、部下指導統率で培った経験もって管理職や組合員に
講習を行い、全社的な働き方改革の講習を行うとともに、産業医と連携しメンタルヘルス担当官として全社
員のカウンセリングを行っている。海自OBは研究所の総務・企画課長として後方支援全般を受け持つとと
もに、これまで見過ごしてきた防衛省の中期計画に呼応した提案ができるよう中長期計画に取り組んでい
る。空自OBは素早い企画力と実行力が買われ、当初は婚活やファミリーイベントなど特命担当をしていた
が、今は本社特機品質管理部長と民需品を含む品質保証室長に就任し、本社の要として活躍している。
新聞を隅から隅まで繰り返し読んでいた"ヒマ"な時間はぶっ飛び、彼らの日常は激変し、退職前の隊長
職等であったときにも増して忙しく、そして目を輝かせて嬉々として働いている。またその結果として、再
就職時に各自衛隊の援護課と約した給料以上の報酬を得るという異例の処遇を得られたことに加え、雇用期
間も当初予定よりさらに延長されることにもなった。
当初は「自分の仕事ではない」と未知への挑戦に否定的で尻込みしていた彼らが、「元自衛官の職務」と
して無意識に自分に課していた殻を破った結果だ。
4 自衛官であったことからの脱却
自分自身の自衛官人生を振り返るとき、「自衛官」という一枚看板を背負いながらも、あるときは船乗り
として船を操り、あるいは教師として教壇に立ち、官僚のようにデスクワークに携わったかと思えば、外交
官として外務省に出向するなど、実際にこなしてきたことは転勤のたびに「転職」を繰り返してきたと言っ
ても過言でない、多種多様な職を渡り歩いてきたことに気づかされる。自衛官であったことで備わった柔軟
性や対応能力は、いま同じ会社にいて第一線で目覚ましい活躍しているOBを見ても確信できる。自衛官
は、決して型にはまった規格品ではない。にもかかわらず、社会に出てからその能力が生かし切れずにい
る。そういう世の中なのだから仕方ないと、その原因を社会のせいにしていていいのだろうか。
元自衛官が持てる能力を社会において更に活かすためには、極めて逆説的であるが、個々の元自衛官が自
己変革を恐れず、自衛官であった殻を破り脱却することから始まるのではないか。
「ぼくは二十歳だった。それが人生でもっとも美しい年齢だったなんて誰にも言わせない」。20世紀初
頭に活躍したフランスの哲学者、ポール・ニザンの有名な言葉である。これを捩って、こう述べて締めくく
りたい。
「ぼくは自衛官だった。それが人生でもっとも美しいときだったなんて誰にも言わせない」と。