同窓生は今

半世紀ぶりの「部屋会」

2016.03.03

平成27年4月、防大同窓生にとって第2の故郷とも言える横須賀(小原台)で、半世紀ぶりの「部屋会」が催されたとの記事を入手したので紹介します。


後藤 武男(5期・陸上)

 昭和32年春、防大1期生を送り出した小原台は新たに5期生を迎え入れた。その折、学生隊122小隊に我が「部屋」が誕生した。8人部屋で、4学年2人と1学年6人のメンバーで、出身高校は、北は北海道から南は九州にまたがる。メンバーは次のとおりである。
  4学年(2期)海上:有馬 哲三郎 岡部 文雄
  1学年(5期)陸上:後藤 武男 立部 伊承 山口 忠悳
         海上:坂西 厚隆   
         航空:井上 正和 成田 憲正
 それから半世紀、正確には58年、平成27年4月に8人のサムライが小原台に集合、1泊2日の「部屋会」を開催した。全員がそれぞれの分野で防人の任を全うし、退官後20余年を経ての再会であった。当時20代前後であった若者は 傘寿と喜寿になっていた。防大入校後、半世紀たっての「部屋会」は僅少であろうかと紹介することとした。
 2日間とも晴天に恵まれ、眼下には青い太平洋 西には秀峰富士山を眺望できた。
 初日は防大(小原台)ツアー。正門に1210集合、5分前の精神の発揮をみた。全員矍鑠としており握手の交換。庁舎前で先ず記念写真を一枚写してツアーが始まった。

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 記念講堂、図書館等を戦略教育室中沢2等海佐(28期)の案内で見学し、施設の充実振りに目を見張った。58年前へのタイムマシーンが知らず知らずのうちに動き始めていた。
 陸上競技場では、午後の課業へ向かう教務班単位の第2種パレード訓練が行われた。今回の観閲官は、3等陸佐の女性で、教務班ごと点数評価される。
 國分学校長が視察に来られており、挨拶することができ良かった。
 「建学の碑」エリアを訪問、「槇初代学校長の胸像」、「学生歌碑」、「学生綱領碑」に釘づけとなった。槇イズムともいわれる自主自律を骨幹とした全人教育の「建学の精神」に触れて深く感動した。
 「学生綱領碑」には建学の精神が明確に刻まれていた。徳目の一つ「廉恥」は、武士の倫理観の源とも云われる坂東武士の精神「名こそ惜しけれ」に通ずるものであり、我が国の歴史と伝統を強く感じた。学生綱領の策定に参与された方々に深く感謝するとともに心から敬意を表したい。
 学生舎見学には筆述しがたいものを感じた。学生隊・学生舎での生活無くして防大なしとも云えるだろう。8人部屋はその基盤ともいえる最小単位であった。指導と服従・挨拶・服装容儀・食事作法・対人関係等々の広範囲にわたってお互いに切磋琢磨する場で、防大教育の緊要な分野であろう。2人部屋の時代もあったと聞いたが、俄かには信じられなかった。
 学生食堂を見学した後、学生会館ホールで「学生歌」と「逍遥歌」を合唱して防大ツアーを終了、小原台から徒歩で走水を経由して宿泊先の「観音崎京急ホテル」に向かった。
 ホテルでの夕食・懇親会は「部屋会」のハイライトの一つ。58年前に部屋会(酒宴)をした記憶がない、「引率外出等はあったがなあ?」と思ったが、「当たり前だ!」1学年は皆未成年であった。今回はひょっとして初めての酒宴かも。杯を重ねる内にタイムスリップを完了し、全員58年前に戻っていた。
 和気あいあい、重ねた年輪にふさわしい薀蓄のある言語、明解な会話に時の過ぎるのを忘れ夜遅くまで宴が続いた。「これほどの美酒、どこの酒かな?」と自問自答、すぐに回答があった。銘柄「防衛大学校」、生産地「小原台」、杜氏「槇 智雄」であった。南に磯の数え歌を聞きながら寝床についた。
hshk3.png 2日目の朝、幸運にも「防大カッター競技会」があり、ホテルから観戦出来るとのことでロビーに集合。目と鼻の先の海上で競技会開始。船首に砕くる青い波、鉄腕鍛ふる若人の姿を見た。
 漕艇訓練の苦しさ、カッター帆走の爽快さの記憶がよみがえった。「カッター競技会」は民間の人にもファンがおり、毎年ホテルに泊まって観戦している。そういう方とスナップ写真を撮った、嬉しいことである。hshk2.png
 この後、タクシーでホテルから馬堀海岸経由で三笠公園に向かった。車中から猿島が見え遠泳を思い出す。
 三笠公園には、日本海海戦で連合艦隊の旗艦として活躍した「戦艦三笠」が記念艦として保存されており、この「記念艦三笠」を海自OBの丁寧な説明を受けながら見学。艦橋には東郷元帥・各参謀の立脚していた足跡がしるされており、忽ちのうちにTV「坂の上の雲」の世界に入った。
 折しも戦後70年の節目の年。明治維新(1867)から38年で日本海海戦(1905)、海戦から40年、維新から78年で先の大戦の終戦。
 終戦から僅か5年で朝鮮戦争勃発・警察予備隊発足、8年で久里浜に保安大学校開校・1期生入校、10年で小原台に防衛大学校の雄姿あり。三笠艦上にて、不遜にも己の馬齢に日本の近現代史を重ねた。
 「三笠」の推薦で一番美味しいというカフェ・ウッドアイランドで「横須賀海軍カレー」のランチ会食を愉しみ、再会を約して解散した。

hshk4.png 「部屋会」の時代、「防衛大学校生は同世代の恥辱」と後のノーベル賞作家が述べる世相であったが、小原台は怯むことなく若人を育成していた。その心情は、「防大逍遥歌」に簡潔明瞭に表現されている。
 2期生時代には無かったと聞き、「防大逍遥歌の誕生と現状(←左クリック)」(偕行27年4月号 喜田邦彦 陸自66)を紹介した。当時は冷戦時代の中にいた。
 東日本大震災における史上最大の救出作戦ともいえる自衛隊の活動や国際貢献における現地住民との親密な関係を構築しつつの行動等が、国内外から高く評価されており、誠に嬉しく力強く感じる。昨今の国際情勢は、後世「テロ戦争時代」と言われるのであろうか。
 若人の城がそびえ立つ小原台は、日本と世界を見渡せる絶妙にして絶好のところにある。
そこで、青春時代を素敵な人々とともに過ごせたことを人生の宝としている。


我々防衛大学校OBにとって、横須賀・小原台における4年間の学生生活は、その後の人生の基盤となっていると思います。今回のような各種イベントの投稿記事がありましたら、同窓会本部事務局へ電話又はメールでお知らせください。(広報部長)

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