423小隊学生、4月23日に集合す
2015.06.14
48年前の4月初め、全国各地から桜咲き誇る小原台に着校した第15期生は、各大隊の3小隊学生としてそれぞれの部屋に配員され、各自の小原台での新生活がスタートした。
縁あって第4大隊423小隊の学生となった1学年教務8班の28名、本年の4月23日に修善寺に近い「冷川兀山(ひえかわこつやま)温泉・ごぜんの湯」に集合した。幹事の藤井(旧姓:狩野)は、24名に案内状を送付した(除:物故者2名、連絡先不明者1名、1学年時の退校者1名)。結果、返信者17名のうち参加者10名で挙行した。この投稿文は、今回参加出来なかった仲間を含め、その場の雰囲気を伝えたいとの思いから下手な川柳を交えつつ駄文を披露することにしたものである。(参加者名は、太字で示す。)
「時忘れ 楽しい時空 小隊会」「返信の 無い人こころ 変心か」
今回、残念ながら返信の無かった者が7名いた事に、準備に腐心し骨折りした幹事は無念を通り越して怒り悲しんでいるように感じたのは私だけではなかったように思う。心当たりの者は、次回には必ず返信だけでもお願いしますよ!
さて、当日私は伊豆箱根鉄道駿豆線三島駅改札で、はるばる佐賀県からやって来た鬼塚と出会い、のんびりと春の車窓を楽しみながら一足早く終点の修善寺に向かった。駅前に足湯があるのではと期待して早めに着いたのだが、足湯はバスに乗って行ってくださいとの観光案内嬢の言葉で足湯はお預け。次の電車で深田が到着。暫くして、杉本と藤井が車で迎えに来てくれ、電車組の残り3人を待つこと少々。やがて改札を出て来るそれらしき人物に対して「あれ誰だ 名前聞くまで 判らない」という何とも愉快な時間あり。
16時頃に、天然自家温泉 温泉湯治宿「ごぜんの湯」(宿主:杉本)に到着。早速、鯉を飼っていた池を転用した露天風呂に浸かり、裸の付き合いを再開し、身も心もむき出しの懐かしさで一杯で一気に1学年当時に戻った。「露天風呂 判定早し メタボ腹」「留年を しなくて済んだは 俺の功」「焼き入れた 4年の制服 俺知らねぇ」「笑えるね あの4学年 怖かった」等々一挙に話はタイムスリップ。
17時5分前に懇親会場に集合完了。近所の山でワナを仕掛け生け捕った鹿の自家製燻製肉、鯛をはじめとした近海の魚介類、新鮮な山菜等テーブル一杯の御馳走を前にした。突然、千葉県から来た有村から全員に意表を突く今流行の「ふなっし~・キーホルダー」のプレゼント配分サプライズ。
「気を使う 必要ないと 言う幹事」「気にするな 気は使わずに 金(かね)使う」と有村。
乾杯後、端から順に各自の近況報告が始まったが、誰かが勝手に割り込んで話し手がいつの間にか移っていたり、誰がどこまで話していたか訳が分からなくなっていたりで、幹事の再三に亘る指導・統制を受けつつ、2巡目まで一応統制下にあったように思うが??それと並行して欠席者からの返信が回覧され、返信はがきのコメントを皆懐かしく読んでいた。その中でも田上からは長文の手紙が届き、その中身は圧巻だった。「指導教官岩田三佐のお顔も浮かんで~」基本教練の敬礼指導時「右の手は ウルトラマンの ビームの手」(ビーム)------------を皆に呼び覚ました。そして、最近家では「ハイ」以外の言葉を使用していない(誰もが同意??)という彼の川柳から一句「遺言を 書いて気が付く 身の軽さ」
「中締めの 号令幾度も 聞き流す」「ガイダンス 思い出させる 大激論」
まるで2尉3尉の頃のように飲めや騒げやで、古稀近い面々が6時間も大騒ぎしたのに、強者どもがまだ5名も残留していた。更に温泉に再度浸かった輩が復帰してきてから、またまた激論が再開された。私は午前零時過ぎには、床に入ったが、囲炉裏を囲んで2名程はまだ杉本夫人(現役看護師長・白衣の天使)と懇談していたようであった。深夜に、消灯時間後の就寝を妨害するかの如き階段をドタバタと上がってくる音と声で眠りを中断された微かな記憶が残っている。翌朝、露天風呂に浸かりながら最終帰室者と疑わしき者に時刻を問うと、午前1時過ぎだったとか、ヤレヤレ元気なジジイ共だ。健康な証拠だ。結構!結構!ただし、「あれ程の 激論交わし 記憶なし」
朝飯前に杉本の農園を案内してもらい、多数のオタマジャクシが泳ぎ回る無農薬水田を見て回り、飼育小屋でかわいいウサギ20数匹に対面した。何と食用と言うのだ!!英国生まれの美味しい種とか、今回我々は食べてなかったよ。
「朝食は 食欲旺盛 自然食」「朝食後 みんな揃って 薬飲む」 残る後ろ髪を引かれる思いで、再会と互いの健康を祈念しつつ解散。医療法人の社長である小吹は、仕事の都合で先発。宮崎、中谷、深田、堀内(旧姓:山口)、藤根の5名は、藤井の案内で藤井邸宅、韮山反射炉、韮山代官屋敷(江川家住宅)跡、蛭ケ島(源頼朝配流の地跡)、北条政子の生家跡を巡って駅まで見送ってもらった。宮崎、中谷と私の3人は揃って特急電車の向い合せの席で膝を突き合わせて帰京した。この3人は、決して忘れることができない入校当初の同じ部屋!でした。