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お知らせ

「同期生紹介」(14)(陸)飛梅靖郎君~「パイロットから歯科医師へ」~

2024.10.06

飛梅靖郎君は航空機のパイロットに憧れて防衛大に入り、幹候校終了後第5飛行隊に配属されて、念願のパイロットとなった。だが3年にして体調を崩して自衛隊を退職、人生を大転換して広島大学歯学部に入学して歯学博士となり、歯科医院を経営した。同期生の中でも異色の人材である。

飛梅靖郎君のこと    (陸) 川島 正

飛梅君は徳島県の小松島で生まれ、近くに海上自衛隊の松茂航空基地があり、哨戒機が飛来していた。飛梅君は幼少のころからパイロットに強く憧れるようになり、防衛大受験の動機となった。

防衛大では1大隊、応用化学12班に属した。学生舎の規律を重んずる生活と教場のアカデミックな雰囲気は、飛梅君の気分に合うものであった。

幹候校では2候8区隊に属した。部隊の即戦力となりうる小部隊指揮官の速成を期す教育訓練からは、防衛大時代のアカデミックな雰囲気はなくなり、時として意図的に体力・気力の限界を追窮されることもあったが、飛梅君にとって苦痛を伴うものには感じられず、体力の適度の消耗と座学に戻るリズム感は、程よい心地よさを感じたという。同じ区隊だった私から見ると彼は物事にとらわれない、どこか現実を超越してヒョウヒョウとした存在だった。苦しい場面に出会っても、はやりの外来語や哲学的表現を使って、周りを煙に巻いていた。

幹候校を卒業した飛梅君は帯広の第5飛行隊に配置された。ここでパイロットとしての基礎訓練を受け、遂に念願のL-19のパイロットとなった。時には北方領土の視察も行った。国防の一端を担っているとの自負を大いに感ずる一時期だった。 約3年の部隊勤務の後に内臓疾患が見つかった。運動は禁止され1年間もの入院生活を余儀なくされた。だが彼の思考はあくまでポジティブだった。俺は念願だったパイロットになったじゃないか。当初の目標は達成したのだ。何を悔やむことがあろう。次の目標を立てよう。新しい人生を開くのだ。誰もが落ち込みそうな人生の岐路に立たされながら、彼は過去を引きずらなかった。

入院生活のベッドの上で新しい人生の模索が続く。ある時見舞客の誰かが広島大学の受験案内を置いて行った。有力な情報だった。よし、もう一度大学受験に挑戦しよう。決めてしまえば簡単だった。彼は歯学部を選び、広島大学の入学試験に取り組んだ。もう迷いはなかった。専念し、集中した。かつて受験戦争を戦った時期から8年を経ている。その間受験勉強とは全く無縁だった。8年のブランク、しかも合格難度は中・四国一と言われる広島大学である。彼はこの難関大学に一発で合格したのである。その集中力と知能の高さには驚嘆するほかない。

健康も回復し、8年遅れの大学生活ではあったが、学部6年、大学院4年の勉学期間は、目標のしっかりした彼にとって極めて充実したものであった。修士課程、博士課程を順調に終了し、彼は歯学博士の学位とともに広島大学・大学院を卒業した。

広島大学・大学院を卒業すると同時に県北東部の藍住町に敷地を求め、「トビウメ歯科」医院を開院して医療業務を開始した。この間大阪出身の才女淑子さんと巡り会ってめでたく結婚、円満な家庭を築いている。飛梅人生の第2幕が開いたのである。

本年で飛梅君は84歳になる。まだまだ医師としての技能と経験を活かしていきたいところだが、高齢が理由で患者さんに迷惑をかけてはいけない。半世紀余り第2の人生を過ごしてきた「トビウメ歯科」を惜しまれながらも閉院することにした。

現在は、労働基準協会の依頼で労働衛生コンサルタントとして、「作業主任者技能講習」の講師をしている。飛梅人生は今第3幕目である。

飛梅君がずっと心に引っ掛かり続けていることがあります。

それは幹候校に入学して9か月目となる12月8日深夜、完全武装による非常呼集がかかった。想定は「これから高良山を攻撃する」というものであった。入校以来体力練成のため走り続け登り続けてきた高良山である。山頂近くで展開し、攻撃行動をもって演習の状況は終了した。終了時の隊装検査で私の区隊の誰かが装具を紛失しているらしい。銃剣の柄のネジが弛んで側板が外れていたのだ。側板といえども武器の部品である。区隊の連帯責任として全員に捜索が命じられた。

今下山してきたばかりの高良山に再び登る。夜は明け放ち、軽装ではあったが再び登る足は重かった。誰かが「発見!」、そして帰隊。その銃剣の柄の紛失者が飛梅くんだったのである。公表もされなかった。だが飛梅くんにとっては大きな心の負担となっていたのである。北斗会解散が目前の今「自分の心残りは発見者が誰であったか知らないままに、お礼も言ってないことだ。また捜索に当たってくれた8区隊の皆さんに改めてお礼を言いたい」とのことです。

銃剣の件で心当たりのある人はどうか飛梅くんに連絡してください。そして飛梅くんが60年にわたって抱いてきた心の負担が癒されますように‼

幹候校の同じ区隊であったことからこの紹介文を書くことになり、改めて飛梅くんと連絡を取り合い、親しさを増すことができたことを幸せに思います。同期生はいいものですね。

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 「パロットから歯科医師へ、そして」   

(陸)飛梅 靖郎

飛梅君写真.pngこの度は久留米幹部候補生学校2候8区隊で寝食を共にした川島正画伯に私の半生を紹介していただきました。過去の私はほぼ川島画伯の紹介文の通りの経過です。

私としては ごくごく平凡に、当面した事態に対処した結果が、現在の私です。つくづく私は 運がよかったのだと喜んでいます。

さらにお伝えしたいこと、それは3人いた子供も既にそれぞれ独立し、今は徳島で夫婦二人の穏やかな生活です。そのような毎日を在隊中に教わった「妻に惚れ 仕事に惚れ 土地に惚れ」この言葉が今も私の人生を豊かにしてくれています。

私の毎日、夏の朝は セミの声に呼び起され 06:25 TVのラジオ体操から始まります。ラジオ体操は旅行先でも欠かしたことはありません。これは在隊中に身に着けた得難い習慣のひとつです。 引き続き食事 朝ドラ鑑賞と平凡な毎日のくりかえしです。

歯科医院を閉院してから新たに加わった習慣が、パワーポイントでの講義の下準備と資料集め、一日の大半はこれで過ごしています。講義というのは、労働基準協会連合会の各種作業主任者技能講習講師の委嘱を受けてのことです。受講生は毎回100人前後の元気な20~40歳代の若者たちです。質問も多く誠に頼もしい限りです。おかげで疲れることもなく1日6時間の勤めはあっけなく終わります。しかし月に3回が限度です。原因は舌の動きが悪くなったことです。これは年齢のせいだと無理に納得して号令調整に励んでいます。

私の楽しみは家族そろっての3度の食事、食事のたびに親がくれた健康な歯でかみしめ 歯が残っていることを有難く思っています

高齢となっても 歯を健全に長持ちさせるためには、セルフケア(自分で歯・口の手入れする)とプロフェッショナルケア(歯科医の指導・治療を受ける)が共に不可欠です。セルフケアのベテランでもいつも同じ部位に手入れ不足が生じ、歯石が出来やがては歯周病となり歯が抜ける運命を辿ります。これは自分の目で手入れ不足部位が確かめることができない場所だからです。望ましい選択は定期的にプロフェッショナルケア(歯科医)に頼ることです。

この度は杉田明傑大兄はじめ多くの同期生がわたしに関心を持っていただいたこと、この上なくうれしく感謝しております。いずれの時か私がお役に立つことがあればと待機しております。かつてはパイロットとして感激の毎日を過ごした部隊勤務、これは本当に運がよかったのだと思っています。そして心許した同期生との再会のチャンスを作ってくれたのも自衛隊です。改めて皆様に心から感謝申し上げます。

同期生の皆様 

半世紀の長い間 音信不通であった私を仲間の一人としていま温かく受け入れていただき心から有難く思っています。

同期生の皆様有り難う!

幹候時代の飛梅君.png 飛梅君画像3.png 飛梅君画像4.png

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