タイ国皇太子 (偕行9月号記事)
2014.12.18
わがクラスメート・タイ国皇太子 佐藤 幸憲 (陸・機械7班)
タイ王国の皇太子ワチラーロンコーン大将は、私の「同期生」である。
タイ王国で2014年5月にプラユッド陸軍司令官がクーデターを決行し、軍・警察主動の国家平和秩序維持評議会を設置、自ら議長として国家運営にあたっている。今回のクーデターの流れの底流として注目すべき重要なことがある。
それは王位継承問題である。国民の敬愛を集め、幾度か困難を乗り切ったプミポン国王は既に86歳、君主歴としては世界最長となった。近年は、入退院を繰り返し、国民の前に姿を見せる機会も激減した。気がかりは、偉大な国王の後継者に厳しい視線が集まり、王制そのものにも波紋を呼び起こす恐れが出ることである。その王位継承権を持つのがワチラーロンコーン皇太子(62歳)である。
1977年、私はタイ国陸軍参謀学校に留学を命ぜられ、入校してはじめて皇太子が同期生であることを知った。入校式とそれに続く行事では、異常な緊張感と歓喜が溢れ、国民は皇太子に注目した。
私が入校した56期生はベトナム戦争が終わり2年後の9月に入校し、翌年11月に卒業した。学生は、大尉が大半で一部少佐が含まれ、日、豪、韓国の中佐3名の留学生を加え213名であった。皇族在籍の期は、「栄光の期」と呼ばれ、同期生もそれを誇りとしていた。
当時は、国内共産ゲリラの活動が活発で、それまでに軍、警察、地方首長等約500人が戦いで命を落としていた。授業としての北部地方参謀旅行中の皇太子搭乗ヘリが地上ゲリラから射撃を受け、機体が損傷し、チェンマイ空港に緊急着陸したこともあった。わが陸上自衛隊指揮幕僚課程に留学したチャレオン中佐がゲリラ掃討作戦中に戦死したのは76年である。隣国カンボジアでは、ポルポト勢力による大虐殺が進んでいた。このような時期で、教育にも緊張感があった。
皇太子は、午前中は、一般学生と同席で受講、午後は公務で欠席することが多かったが、毎週金曜日に厳しい課目テストは欠かさず受けていた。在学間、皇太子宮殿に招かれた際、宮殿内に設置された障害走路を朝夕2回走破されていること、3ヶ月に1回は空挺降下されていることを話された。卒業後、戦闘機や戦車の操縦も体験され、現在は陸海空軍の大将である。病身のプミポン国王に代わり公務に携わりつつ帝王学を学んでいる。
来日は、公式、非公式合わせて10数回におよび、わが皇室との長く親しい交流もあり、
天皇陛下にも幾度かお会いになっている。訪日時でも体力維持に留意され、早朝皇居一周ランニングを希望され、ボデイガードの警視庁SP2名が伴走したこともあった。
自衛隊関係では、81年来日時に陸幕長表敬後、空挺降下訓練見学を希望されたため第1空挺団にご案内した。海自練習艦隊のバンコック寄港時には練習艦を見学されている。
毎年正月に送受している新年カードと家族写真は、36年経つ今も続いており、アルバムも2冊になった。皇太子の表情も年々穏やかになっている。
国政選挙は2015年10月と公表されているが、民政移管と国民和解までにはまだまだ多くの曲折が予想される。進展次第では、タイ北部や東北部で囁かれている分離独立運動に火をつけかねない。伝統的支配層が選挙で勝てないためにこれを嫌悪する限り、クーデターの後ろ盾をうけても、国民の納得する新しい制度を示すのは難しいだろう。
また、国民がこぞって王室を敬慕し、エリートたちによる政治が危殆に瀕した時は国王の裁断を仰ぐ、という従来のパターンは最早無理である。厳しい現在の不敬罪のもとでは国民意識を見極めるのは難しいが、国民の権威に対する感覚は明らかに変化している。この中で、国民は王制の優れた点を改めて認識し、後継者自らは敬愛される存在となるよう努めなければならないだろう。
皇太子は、今、難しい時を迎えておられる。
参考:この記事は、財団法人偕行社機関誌「偕行」2014年9月号から発行人の許可を得て転載したものである。