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ノーベル平和賞にかかわった同窓生

2021.05.10

古賀義亮

 平成25年12月9日朝、嬉しいニュースがNHKで報道された。

 後輩の秋山一郎君がノーベル平和賞の授章式の出席者の一人として推薦されたという。同年のノーベル平和賞はOPCW(化学兵器禁止機関)に授与 されることになり、秋山一郎君はOPCWの初代査察局長であったことが授賞式に出席する理由である。

 秋山君は陸上15期生である。

 昭和45年に私が米国のイリノイ大学から帰国して、防衛大に勤務し始めた頃、それまで国内各大学に研修生として留学して多くの同窓生が修士、博士 の学位を取得していたが、折しも安保反対闘争にかかわる学園紛争のために、日本国内の大学は防衛大卒業生に門戸を閉ざした。

 そのために海外留学の道を探る一番手となって小原台上に研修生として派遣された中に秋山一郎君がいたのである。当時のアメリカの大学の実情を 知っていることから私は海外留学要員の研修生指導担当を仰せつかった。

 英会話の習得には、防衛大の教官が、英語勉強会の教官を横須賀海軍基地からのボランティアながら招いて自発的に行っていた英会話教室があり、私が世話役を務めていたこともあって、全員とも参加させて特訓を行った。主要な米国の大学から願書を取り寄せ、英文の成績証明書、英文の推薦状を作成し、大学に送り届けた。修士課程の学生の採用通知を受け取り、無事に送り出す事ができた何人かの研修生の一人が、秋山一郎君であった。

 秋山君はイリノイ大学に留学し、本人の努力の甲斐もあって理学博士を取得している。

 秋山君は、私の教え子とまでは、おこがましくて言えないが、イリノイ大学留学の手引きを行ったことが、ノーベル平和賞受賞の一員として参加する一 つの要因であったと思いたい。

  • ノーベル平和賞 授賞式に日本人
  • (以下NHK 平成25年11月15日 23時12分)-インターネットより引用

 今年のノーベル平和賞に選ばれたOPCW=化学兵器禁止機関の初代の査察局長を務めた日本人が、来月行われる授賞式にOPCWの代表の1人として出席することになりました。

 今回のノーベル平和賞には、化学兵器の廃棄に必要な査察や検証を世界各地で行っている国際機関、OPCW=化学兵器禁止機関が選ばれ、来月10日、ノルウェーのオスロで授賞式が開かれます。

 関係者によりますと、この授賞式に出席するOPCWの代表の1人として、日本人でOPCWの初代の査察局長を務めた秋山一郎氏(64)が選ばれました。

 秋山氏は、陸上自衛官だったころ、設立されたばかりのOPCWに1997年に初めて派遣され、通算10年にわたり200人余りの査察官を束ねるトップとして、3,000回に渡る現地視察を指揮してきたことが評価され、授賞式の出席者として推薦されたということです。

 秋山氏はOPCWのウズムジュ事務局長と共に、メダルや賞状の授与に臨むことになります。

 秋山氏は、陸上自衛隊の化学学校長として後進の指導に当たってきたほか、自衛隊を退職した後は、旧日本軍が中国に残した化学兵器の廃棄事業にも携わっています。

 秋山氏はNHKの取材に対して、「化学兵器を世界から無くすため、地道な査察活動を積み重ねてきたことが評価されて光栄です。今回の受賞が目の前のシリア問題の解決の後押しになることを期待したい」と話しています。

 秋山一郎氏とはどういう経歴の持ち主なのか?

 秋山 一郎(あきやま いちろう、1949年(昭和24年)3月26日生 )

◾防衛大学校を卒業(第15期)後、1972年3月3等陸尉任官。

◾1979年(昭和54年):イリノイ大学大学院修了(5年間留学、理学博士号を授与される) 帰国後、師団司令部付隊化学防護隊長として勤務

◾1986年(昭和61年)7月:2等陸佐、第101化学防護隊長等

◾1990年(平成2年)1月:1等陸佐に昇任 主な職歴として新潟地方連絡部長、陸上幕僚監部装備部武器・化学課化学室長。

◾1997年(平成9年)6月29日:同年4月に設立されたOPCWの初代技術事務局査察局長として外務省へ出向(外務事務官兼陸将補) 日本国内においてはオウム真理教第7サティアンの解体・撤去に際し査察を統括

◾2002年(平成14年)7月2日:第24代陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令

◾2004年(平成16年)8月1日:OPCW技術事務局査察局長として再度派遣。2007年8月1日UC転官。

◾2009年(平成21年)7月31日:任期満了に伴い退職

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