EMPが被害をもたらした事例
2017.11.17
古賀義亮
前回の「ある日の朝」は、高々度核実験が日本国列島の近辺で、もし実施されたとしたらという架空のおはなしであるが、この内容はEMPによる実際に発生した被害の記録とその原因を基にイントロダクションの意味をこめて記述した。
核爆発によるEMPの発生は、アメリカが原爆の実験を行っていた第二次世界大戦頃からイタリアの物理学者フィミーによって予想されていた。しかしどれくらいの範囲でどのような影響を及ぼすのかという事ははっきりとはしていなかった。ところが第二次世界大戦後1950年代においてソ連が1回、アメリカが5回行った大気圏核爆発実験によって各種の電子機器に妨害や破壊、エラーを引き起こすことが発見された。実際にどのような現象が起きたかという事例を紹介する。
旧ソ連は61~62年の間に13回空中爆発実験を行いミサイルの奇襲防止とミサイルの敵防衛戦を突破、及び高々度で核爆発した際、レーダと通信に及ぼす影響を実験した。主要実験目的は核爆発時のEMP反応を明確にするためのものであった。
1961年10月30日、旧ソ連は北極海ノバザゼムリアでTNT5800万トン相当の世界最大規模の核実験を行った。この時の核実験によるEMP現象は米国のアラスカとグリーンランドの警戒レーダと、4000Km範囲内の長距離通信システムを麻痺させ、24時間にわたる運用中止が余儀なくされた。
1962年10月22日、旧ソ連は対弾道ミサイル実験のためにカザフスタンのジェスカスガンという都市の近くの上空290KmでTNT30万トン相当の核兵器を爆発させた。30マイクロ秒間に2千から3千アンペアの電流によって地上7.5メートルの近さで東西550Kmにわたって施設され、50Kmごとに接地されていた保護装置がすべて破壊された。さらに地下に埋設された送電線にも核兵器の爆発によって生じたEMPによって誘導された直流分に近い電流が原因で発電所の火災を発生させている。
米国は1962年7月9日、ジョンストン環礁上空400Kmで「スターフィッシュ」と命名した核実験を行った。TNTで140万トン相当の大きさで、EMPは北東方向に約1300Kmも離れたハワイのホノルルの数百に及ぶ防犯ベルの動力線上のカットアウトリレーを焼損し、オアフ島の照明用変圧器も同時に焼損して30本の街灯を全部停電させた。また別途実施した29回の高々度爆発はこれまで低軌道人工衛星の太陽電池と電子装置に被害を与え予定より早く機能を停止させた。
1964年より大気圏核実験は停止されたのでEMPに関するデータは限られており、以降は地下核実験や核を使わないシミュレーション、論理的計算等によってデータを集め、防護対策等の研究が行われている。
前回のEMP障害を想定した寄稿文について、30歳代に軍事技術情報の幕僚員が長かったという藤本晶士兄から、米国ではその当時からEMPは極めて注目されており、その一例として北アメリカ航空宇宙防衛司令部(North American Aerospace Defense Command:NORAD)は地下に設置されており、EMP対策として大規模な施設が丸ごと鋼板で覆われているとのコメントがあった。
日本国の電気設備、並びに交通・通信機関は雷が発生するEMPは雷害対策が行われている。しかしながら雷害によってさえ停電が起こる報道があることから推測すると、高々度核実験によるEMPは雷以上のエネルギを持ち、さらに広域にわたることから、前回の「ある日の朝」は、高々度核実験が日本国近辺で実施されれば起こりうると考えてよいであろう。そのようなことはないことを念願するが、万が一にでも起こったときには、大地震来襲と同様に冷静に対処する心構えはしておきたい。