防衛大学校第18期生ホームカミングデー行事成果
2017.04.25
平成12年3月、第6代松本三郎学校長の発案で始まったホームカミングデー行事(以下、HCDと呼称)も今年で18回目となり、卒業後43年目にあたる18期生が平成28年度卒業式(本科61期生)に國分良成学校長の招待を受け実施しました。HCD行事は卒業式前日の3月18日(土)のHCD前夜懇親会で幕を開けました。HCD前夜懇親会は、16時30分から、よこすか平安閣6階セレーネの間において、國分良成防衛大学校長を来賓に迎え、卒業生137名とそのご家族60名が参加して盛大に開催された。
北海道から沖縄まで各地から駆け付け、卒業以来43年ぶりに見る顔もあり、受付を済ませるとお互いに名札を確認しながら、なんだお前か懐かしいなと再会を喜ぶ声、肩をたたきあう姿が会場を満たした。
定刻となり、大きな拍手の中、火箱実行委員長の先導で國分学校長、武藤副校長、岸川幹事、俵訓練部長、景浦防衛教育学群長、竜嵜総務部長、香川教務部長、香月人材確保統括官、武藤総合情報図書館長が入場された。
司会の笠原久君の開式の辞に続き、追悼の譜「国の鎮め」が流されて32名の物故者の霊に黙祷を行った。
まず、火箱実行委員長が挨拶し、47年前の防大入校時の不安と期待が交錯する心境を、節回しをつけて愉快に披露。学生生活では勉学よりも部活に明け暮れたが、それでも強い国防の念を抱いていたことを紹介した。入校の1970年は大阪万博があり、また三島由紀夫事件、「よど号」ハイジャック事件があった年である。安全保障面では、冷戦時代で、幹部自衛官になってからはソ連の脅威にどう対応するかを一生懸命に考えた。1991年の掃海艇ペルシャ湾派遣以降は、国際平和維持活動、国際緊急援助活動等国際貢献任務が増えた。現在は、北朝鮮の核兵器、ミサイル開発等厳しい安全保障環境下で、国際貢献も災害派遣とも任務がさらに拡大しつつある。自衛隊を退いたとはいえ、様々な面で、ますます難しい時代を迎えている中、こうしてHCD行事に参加して貰ったことに感謝申し上げたいと締めくくった。
國分学校長は、祝辞で防衛大は学問のみならず体育や訓練を通じて身体を鍛えるとともに心を養う日本一の学校と確信している。そして世界一の士官学校にしたいと考えている。明日卒業する61期生は、良い学生に育っているので、しっかりと見てもらいたい。卒業43年目のHCDの次には入校後60年目のHCD2があり、今年度は5期生の多数の参加が予定されていると紹介された。
司会から御来賓の紹介があった後、海の杉本部会長が壇上に立ち、最初の行事にあたった役員の紹介。そして、今日は学校長以下防大からご来賓に出席をいただいているので、防大の現状について聞いてもらいたい。また久しぶりに会えた同期生と十分話してもらいたいと要望し、防衛大学校のますますの発展と参会者のご健勝を祈って乾杯の音頭をとった。
続いてご来賓を囲んで1~5大隊の大隊毎に、奥様、ご家族を交えて写真に収まった。カメラが多く何処を向けば良いのかと騒ぐ中、一番高そうなカメラを見ろとの鶴の一声に全員が納得。
懇談に移ると飲食を忘れて思い出話に花が咲き、あちこちに人の輪ができた。國分学校長は、すべてのテーブルを回って老いの繰り言にも忍耐強く耳を貸しておられ、頭の下がる思いがした。飲食も忘れてのはずながら、高そうな鮨だけは見事に完食。やっぱり、その辺は抜け目ないわが同期生と感心させられた。
逍遙歌斉唱では、準備したCDの音が出ず、司会も困惑する場面もあったが、そこは東日本大震災に対応した元陸幕長火箱実行委員長が、自身の著書「即動必遂」のとおり、自らマイクを持ち、アカペラでやると指示、音程は怪しかったものの大きな声で歌をリードし何とか乗り切った。(但し、歌唱力に関しては、更に演練の要あり。)これも、思い出として、今後の同期の集まりで酒の肴にされるはず。
最後に空の外薗部会長が挨拶。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。初めは顔と名前が一致せず恐る恐る話していたが、この短い間に43年の時空を超えて同期のきずなを取り戻すことができたと考える。今後とも更にこの絆を大切にしようと結び、防衛大学校の更なる発展と同期の絆の強化と全員の健勝を祈念して万歳を三唱した。
軽妙洒脱な司会ぶりで、参加者を流石と唸らせた笠原君から13年後のHCD2でまた元気に集まろうとの閉会の辞をもって前夜懇親会を終了した。
積もる話が尽きず、会場を去りかねるグループを促して退場をお願いしたが、同じクラブの仲間や、1年生時の小隊等気の合った顔ぶれで2次会に移行し、懐かしい横須賀の夜を楽しんだ様子。何物にも代え難い動機の絆を改めて強く実感した夜であった。
翌日平成29年3月19日(日)、防衛大学校卒業式(本科第61期学生等)に参加した。
当日は、小春日和の天候の下、実行委員の役員は7時過ぎには防大に集合し、それぞれの配置に就いた。正門前には入門時間の8時を待ちわびる卒業生家族やHCD参加者が続々と集まり、学校側の配慮により8時前に入門を開始した。
HCD参加者の受付・待機場所となった防衛学館に集まった同期生とその家族はしばしの間、歓談に花を咲かせた。9時前に時計台下階段に移動し、学校長、幹事、副校長の参加を得て、HCD記念写真撮影を実施した。
その後、記念講堂と防衛学館に分かれて移動し、記念講堂入場者は卒業式に参列、その他の参加者は防衛学環境上において大型スクリーンのモニターで卒業式を視聴した。
平成28年度の防大卒業式においては、本科61期学生401名、理工学研究科及び総合安全保障研究科の学生76名が所定の課程を修了して卒業の良き日を迎えた。まず、國分良成防衛大学校長から一人ひとりの卒業生に対し卒業証書が授与された。
学校長式辞においては、昨年に引き続き、HCDに言及され、「本日の卒業式には、昭和49年(1974年)に防大を卒業された第18期の皆さんが多数参列されています。今日の日本の平和と繁栄は、第18期の防大卒業生の皆さんが、過酷な条件下で厳しい任務と責任を果たされた賜物であります。崇高な使命を見事に完遂されて、本日無事に帰校された第18期の皆さんに盛大な拍手をお願いします。」と紹介された。記念講堂に参列した140名の18期生とその家族は、岩渕君(海)の合図により一斉に起立し、頭を下げ、心からの謝意を表明した。それは防衛学館教場において大型スクリーンのモニターで卒業式を視聴していた同期生にとっても感動的に場面であった。また、61期生の歩んできた足跡や海外からの留学生の祖国での活躍などを例に防大教育の素晴らしさを強調された。最後に防大の基礎を築かれた三恩人の一人、小泉信三氏の言葉を引用した後、卒業生に対して「諸君たちは防大で学識ある勇者に成長したはずです。そのプライドを持って、君たちを必要とするこの国と国民、そして世界のために今後とも日夜精励してください。」と式辞を締め括られた。
自衛隊最高指揮官である安倍晋三内閣総理大臣は訓示において、第2次安倍内閣誕生と卒業生諸君が防大に入校した時期とが重なることに触れた後、この間、日本で初めての「国家安全保障戦略」の策定、NSC「国家安全保障会議」の設置、新たな「防衛計画の大綱」の策定、更には「防衛装備移転三原則」の決定など、わが国の安全保障政策の立て直しに尽力してきたことを強調された。そして、何よりも驚いたのは、その後の訓示においてHCDの18期生に言及されたことであった。「先ほど國分学校長からご紹介があったように、本日はホームカミングデーとして、昭和49年に防衛大学校を卒業しOBの皆さんもお集まりです。皆さんも、在職中、心無い多くの批判に晒されたかもしれません。そうした批判にも歯を食いしばり、皆さんは、自衛隊の中枢にあって与えられた任務を立派に全うしてこられた。そして、米国や志を共にする民主主義国家とともに、冷戦を勝利へと導きました。卒業生諸君、そしてご列席の皆様。この大きな仕事を成し遂げ、本日、懐かしきこの学び舎に戻ってこられたOBの皆さんへの心からの感謝と歓迎の気持ちと敬意を、私からも皆様と共に大きな拍手をもって贈りたいと思います。」誰もが予想すらしなかった突然の総理からの18期生の在職中の労苦に対する謝意の表明は、記念講堂に参列した140名の同期生だけでなく、防衛学館の教場内の大型スクリーンのモニターに見入っていた他の同期生にも等しく感動を与えた。最後に、卒業生に対して、「この場所から新しい歴史を作り上げるのは、まさに諸君であります。その気概を持って、いかに厳しい現場であっても、鍛錬を積み重ねてもらいたい。自衛隊の中枢を担うという強い使命感と責任感の下に、いかなる時も、成長への努力を惜しまないでほしいと思います。」と結ばれた。
続いて、稲田朋美防衛大臣は訓示の中で、平成4年に初めて入校した女子学生が今や1佐として活躍している現状について触れ、女性大臣ならではの期待を表明された。また、各国の留学生に対しても防大での知識、経験を生かして母国と日本との懸け橋として尽力して欲しい旨述べられた。
来賓祝辞は、東京理科大学副学長、宇宙飛行士の向井千秋女史が述べられた。
向井女史は、彼女の生い立ちから意思を目指した境遇や後年宇宙飛行士を志した経緯に触れた後、卒業生に対して、人生の先輩として仕事を通じて学んだこととして、女性である前に一人の人間として任務を考え、自分に何が出来るのかを考えて行動してきたと強調された。そして今後、多様な環境の中で多様な人との連携を大切にしてほしいと結ばれた。
その後、卒業生代表の答辞、卒業生の「学生歌」斉唱をもって卒業式は終了した。壇上から安倍総理大臣が見守る中、卒業生解散のアナウンスを受け、卒業生は、代表の指示の後、卒業生が一斉に帽子を投げる恒例の「帽子投げ」を行い、駆け足で式場から退場した。
卒業式終了から任命・宣誓式開始までの間に、記念講堂横の顕彰碑において顕彰碑献花式を実施した。18期生は故山川渡氏(防大学生1年生)と故北林正人氏(海自航空)の2名の殉職者があり、HCD行事に参加した中から約100名に及ぶ同期生とその家族が献花式に参列した。まず、火箱陸部会長、杉本海部会長及び外薗空部会長3名の18期生代表者による献花を行った後に、全員で殉職者の御霊の冥福を祈り黙祷を捧げ、厳粛に顕彰碑献花は終了した。
陸・海・空それぞれの幹部候補生の制服に着替えた卒業生が整列して待機する中、幹部候補生の任命・宣誓式が開始された。陸・海・空幕僚長の順で要因ごとに一般幹部候補生に命ぜられた。その後、陸・海・空候補清掃員で宣誓を行い、各代表が安倍内閣総理大臣に宣誓書を手渡し、握手を交わし、任命・宣誓式を修了した。
任命・宣誓式終了後は、陸上競技場において3学年以下の在校生による観閲式が行われた。18期生は競技場の一角に設けられたHCD席及び周辺の土手から観閲式を見学し、整斉とした観閲行進の姿に往時の自分を重ね合わせながら惜しみない拍手を送っていた。観閲式終了をもって、18期生のHCD全体行事は終了した。参加者を前に火箱実行委員長から、「今回の喜びと動機の絆を糧に、13年後の入校60周年のホームカミングデー・2での再会を目標に、各人健康に留意して暮らそう。」との趣旨の解散宣言が行われた。
その後、希望者は二つのグループに分かれ第1大隊と第2大隊の学生舎見学を実施した。各学生舎では、指導官と3学年の学生がグループ毎に見学を担当し、18期生や家族からの質問にも親切に答えていた。現在の学生舎は18期生在学時当時と比べ、部屋は各学年混在の8人が基準であるのは同じであるが、5個大隊化に4個大隊に減少した学生舎は大規模に建て替えられ、女子学生や留学生数の増加など状況は大きく変化しており、住環境は格段に改善されていることを感じた。
こうして18規制HCD行事は成功裏に終了し、参加した同期生とその家族は43年振りの母校において改めて同期の絆を感じ、素晴らしい思い出を共有できた喜びを胸にそれぞれの家路についた。その舞台裏には、約2年前から準備に着手した18期生HCD実行委員の尽力があったことを強調しておきたい。実行委員は、一昨年の16期生、昨年の17期生のHCDを研修し、その成果を参考にしながら準備を本格化して本番を迎えた。加えて、HCDの円滑な実施の裏には、過去18回にわたるHCD実施のノウハウや教訓を生かして本行事を担当された学校関係者の支援があったことを忘れてはならない。ここに改めて防衛学教育学群長をはじめとする防大側の親身にわたる全面的支援に対し深甚なる謝意を表したい。