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防大講話録・投稿論文

平成26年度防大代議員会記念講演(養老孟司氏)

2015.05.16

「日本人の死生観について」
 (東京大学名誉教授 養老孟司先生)

 申し訳ありません、歩かないと話が出来ないと言う癖がありまして、見苦しいかもしれませんが、よろしくお願い致します。

 今日は、随分立派な題(演題)を頂いているのですけど、私もこの年でと言うか、ちょっと自己紹介を兼ねて申し上げますと、私は昭和12年つまり1937年の11月11日生まれなのですが、歴史で言いますと、その年の7月7日が盧溝橋事件の始まりでございます。それで、終戦時は小学校2年生でございまして、これは良く覚えていますが、昭和20年8月15日、母の田舎におりまして、神奈川県の田舎でしたが、そこに祖父母と叔母がおりまして、夏休みですから、当時、まあ一種の疎開でございますが、夏休み中は田舎に行っておりました。叔母から一言「日本は戦争に負けたらしいよ」と言われて、私は何とも言えません、子供でしたし、膝の力が抜けるというかがっくりしたというか、少なくとも大人たちはそれまで、竹槍訓練もバケツリレーもやっておりましたから、「そんなもので火事は消える訳はないだろう」と子ども心に思っておりましたけれども、そんな時代でございました。そして、しょっちゅう空襲で夜起こされて、それこそB−29が燃えて落ちていくとか焼夷弾を落とすのを花火みたいで綺麗だなと、当時は灯火管制で真っ暗ですから、それを覚えておられる方も、この中で何人かおられるかもしれませんが、そういう育ちでございます。
 で、何を感じるかと申しますと、この後、私にとって一つ大きな事件と言うか「教育」がございました。それは、それまで使っていた国語の教科書に、先生に言われて教室で教科書に墨を塗っていくんです。これは、見事な教育で、恐らく私が受けた教育の中で一番大きなインパクトだったと思います。何が起こったのかと、これも60代になって改めて考えたことですけど、これが私にどのような影響を与えたか、後で分かってまいりましたような気がします。
 それは、まず第1に、何だか知らないけど「不安」と言うものがありまして、それは、世の中で一般に言われていること、世の中の一般に適応していくといったらおかしいのですが、その中にすんなり入って行くってことがどうも出来ない。何故かと言いますと、まあ、理屈で言えば、あれだけ特攻・神風を送り出すまで一所懸命やったことが、ある日完全にひっくり返るんですね。当時私どもが使った教科書は、国定の大事な教科書でございますから、それに墨を塗った体験は、世の中でいくらこうだと言われても、それを本当に信用していいのかと言う気持ちもあったのだろうと思います。
 そして、私は医学部に入りまして、患者さんを見ると、やはり「不安」なんですね。当時私は東大病院でインターンをやりましたが、東大病院ってのは、患者さんが死ぬために来るところでありまして、要するに、他の医者が見放して、もうどうしようもないと言うと東大に来るのですね。ですから、まあ死ぬのが当たり前みたいな病院ですね。私の息子が一時池に落っこちてですね、ちょっと発見が遅れて入院させたのですが、退院のお祝いの時に婦長さんが何といったかと言うと、冒頭にいきなりですね、「この病院から生きて帰るのは珍しいですからね。」と言ったことは今でも覚えてます。それで、そういう所に勤めておりましたけど、患者さんがよく死ぬわけですから、そうすると私としては非常に気になるんですね。で、現在では医療事故で当然問題になるのですが、その位のことは当時当たり前。そうしますと、私が患者さんに、注射をしなければならないとすると、まず、うっかりしたものを注射しますと死にますから、人っていうのはなかなか死なないんですね。あの、死んでくれと思うとなかなか死なないですね。そんなつもりは全くないのに、コロンと死ぬことがありまして、怖いですね。注射器(薬又は液)は間違ってないだろうなとか、間違って人を殺しても仕方がないとしても、そういったことはしっかり私の記憶に入ってしまう。これって一体何人殺したら自分がどうなるのだろう。
 そして、その後、その疑問は解けないままでどうしたかと言いますと、インターンが終わってから私は解剖をやりました。何故かと言いますと、学生の時に最初に解剖をやらされた時に本当に「安心」なんですね。つまり、気持ちが一番乱されない、その作業の間は。それだけは分かっていたんです。だから、「解剖ならば同じ医学部でも安心して出来るな」と思いました。それで、卒業してからも、結局、解剖学を選んで、亡くなった方と、(まあ言ってみれば)、ずっとお付き合いしてきたんです。ですから、「死生観」なんて偉そうな題(演題)ですが、実は、亡くなった方とは非常に親しい。何故自分が解剖を選んだか、何故そういう時に気持ちが落ち着いたか、年を取ってから考えるようになりまして、これは、何と言いますか、乱暴に言いますと、これ以上死ぬ心配が無い、始めから死んでますから。もう一つそこにですね、全く嘘が無い。人のイデオロギーとか思想とか正義とか公平とかへったくれとかそういったものが一切無いのですね。毎日決められたとおりにやりまして、実習はほぼ3か月かかるのですが、乾かないように布で包んで帰りまして、で、次の日に開けてみると、昨日やったところできちっと終わってます。夜の間に治った人は一人もいない。そう言うことなんです。ところが、それが、非常に「安心」なんですね。目の前に有ることが全て私がやったことで、どんな結果になりましても、1月経ちますと、腕が取れたり、頭がもげたりしてですね、酷いことになってるんですね。我に返ると、酷いことになっていると思うのですけど、でも、それを考えてみると、「やったのは誰だ?」と言う話です、「おまえだろ」って話です。すると目の前に起こっていることが全部自分の責任だと言うことになれば、これくらい「安心」なことは無い。そういう風に育ったんですね。それは、お前が変なんだろうって多くの方が思うと思うのですが。
 実は私はそうではないと、或る時に気がついたのですが、実はテレビを見ている時に気付いたですね。何で気付いたかと申しますと、NHKのプロジェクトXと言う番組があって、計算機とか車とかトンネルとかですね、本当に矢のように必死で作っている。「何であんなことを一所懸命やるんだろう?」、おそらくは、ディレクターは私より若い世代ですから、「何であんなことを一所懸命やるのだろう?」と不思議に思って。経済関係の方は戦後の日本は物作りで発展したと言うのですね。物作りで実際に背負って来た人たちは、「一体何を考えていたんだろう?」とそういう不思議さを持ってあの番組を作ったのですね。私は見ててすぐ分かったような気がしたのですね。「あ~、私と同じだな」と思いました。だって、作った計算機がまともに動かなければ作った自分が悪いんですよ。マルクスイズムで作らないからちゃんと動かないとかですね、民主主義で作ってないから一切ダメなんだとか、そういうことは一切無いのです。そうでしょう、車も全く同じです。東京でちゃんと走る車がニューヨークで走らないわけないんです。そうですよね。
 そう言えば、戦後、軍を辞めた方がいくつか技術系の会社を作られてますよね。私、電子顕微鏡を使っていて、日本電子という会社に時々行ってましたが、あそこも実は旧海軍の技術将校じゃなかったかと思います。あ、なんだそっちに行ったのかと思いまして、どういうことかと申しますと、まあ、例えば新聞をとってみればすぐ分かるのですが、去年も朝日新聞は反省してましたけど、私は何とも思ってませんが、戦前の新聞を知ってますから、それから戦後になって、あれに比べれば大事件でも何でもないので、これが新聞ではないかと当たり前に思っています。スタップ細胞でも殆ど驚きません。日常茶飯事です。
 科学上の発見の99パーセントは嘘だって本が出てます。一番簡単な例で、皆さん、もしかしてご存知かもしれませんが、メンデルの法則は中学校で習います。メンデルの法則は岩波文庫にきちんとデータ付きで載ってますから、論文がそのまま読めます。ところが、フィッシャーという有名な統計学者があれを検定致しました。つまり、メンデルの仮説が正しいとした時に、メンデルがああいう実験をやって、ああいう結果を得る確率はどのくらいかを計算しました。見事に棄却される範囲に入った。つまり、ああいう事は起こるはずがないという結論が出ました、統計的には。どこかでデータがいじられている?、分かりません、だから、どこで何が起こったか。さもないと、物凄く運の良い偶然でございます。まあ、それが一つの例ですけど、まあどうでも良いのですが、それは。
 それで、私が申し上げたかったことは、「戦後の物作りは、実は社会の価値観があれだけ変動した時に起こった、ある意味では必然的な現象かな」と思いましたら、なんと直ぐに、次の歴史の答えがまた出てまいりました。
 それは、何かと言うと、実は「明治維新」でございます。文科系と言いますか、言葉を使って物を書いたりする方がおられたりしたら、歴史を書いたり、ちょっと私と全く違う神経の持ち主だなという気がするのは、(元々若い時から、言葉を使うというのは私はやりません。やらなっかったと思います。)何故なら、あれだけ嘘が多かったからです。
 だから、解剖医になったので、そうすると、そう思って「明治維新」を見ますと、福澤諭吉、木戸孝允とか坂本竜馬とか、(高知に行くと坂本竜馬だらけになってますけど)ああいう人達は明治維新を自分で遂行したのですね。だけど、私がはっと気がついたのは、あの時に私ぐらいだった子供達、小学生だった子供達、(当時小学校は無かったですが、明治5年に義務教育令が出来て、小学校が出来ましたけど)、「あの辺で小学校に行く子供達は、社会のあの変化を見てどう思っただろう?」と言うことです。と、突然気がつきました。「俺と同じ奴が大勢いたのではないか?」 「それが何になったか?」 野口英世になり、北里柴三郎になり、志賀潔になり、高嶺譲吉になり、豊田佐吉になったのではないか!
 明治維新以降の日本が近代国家として発展して行ったのは、徳川300年というあのかっちりしたシステムを、言わば180度ひっくり返して、散切り頭で、刀を捨てたり、その変化を遂行して行った大人は自分で考えてしたからいいのですが、「自分のお爺ちゃん、お婆ちゃんが堅く信じたことが、孫にとってみれば、全然引っくり返っちゃって、これは一体何を信用したら良いのか?」ってことは、本能的に子供は考えるので、「そういう人達が物の追及にいったのではないか?」
 北里さんの気持ちを私が代弁するのもおこがましい話ですが、あの人は熊本の田舎の出身ですね、今でもお宅が残ってますが、あの人はベルリンでコッホの弟子になりまして、「ベルリンであろうが、熊本であろうがバイ菌に変わりがあるわけじゃなし!」と言うのが北里さんの言い分だったのではないか、腹の底では。北里さんは日本人だからと言う理由でノーベル賞を貰えなかった人ですから。「明治が何故あれだけ世界的な科学者を輩出したかと言う答は社会の価値観の大変動を子供達が通ったことにある」と言う気がしてまいりました。それで、そういう風に明治維新を書くかというと、歴史家の人は最初から歴史に関心があるので、物に関心がある訳ではありませんから、物に関心のある学者は考古学者になっちゃいますから。そうすると、今のような話は出てこないのだろうと言う気がします。
 今日(の論題)は「死生観」なんですけど、今申し上げて来ましたのは、自己紹介でありまして、そのような考えでずっと来ました。だから、死ぬと言うのは、商売柄これは当たり前で、何故かと言うと、死んだ人がいなければ解剖も出来ませんから、しょっちゅう、亡くなった方々のお相手をさせて頂きました。その中で、自分がこの年になってきますと、当然ですが、死ぬ事を考えます。本当に具体的に考えるようになります。恐らく若い時から、かなり具体的には、皆さんよりは具体的かもしれません。毎日、毎日、極端に言えば亡くなった方を触ってますから、そういう仕事ですと、どうしても考える。でも、やはりある年になって急に気がつくのです。「今日私が死んだらどうか?」 
 今日もそうですよ、私は実は、今日、四国の今治から参りまして、結構長旅ですから、途中に交通事故で死んでも別に不思議は無い。或いは、昨日はホテルに泊まってますから、夜中に心筋梗塞で死んでても何の不思議も無いのですね、歳ですから。じゃあ、私が困るかと考えた瞬間に、「ああ俺は全然困らない」と言う結論が出てくるのですね。困るのはこちらの同窓会の幹事の方、「あの野郎来ないじゃないか、あれだけ言って前もって約束したのに来ないわ、あいつ。」なんと、「私の人生って、私にとっては実はどうでもいいのです。そうですね、私が死のうが生きようが私の知ったこっちゃない。」
 これは若い人には余り言えませんね。若い人にこれを言うと秋葉原でナイフ持って通りすがりの人を刺したりする可能性がありますから、知ったこっちゃないですよね。
 でも、歳を取ってくると、しみじみ感じるので、あっと思うのは、「俺が死ぬって事は俺自身に実は何の関係も無い」、極端に言いますとね。じゃあ、何に関係するかと申しますと、「私が死んで困る人は家族」であります。困らないにしても、取りあえず困ります。四国で死んだりすると面倒くさくてしょうがない。ですから、「なんと私の人生って実は私の物では無いな」と、今頃になってしみじみ感じるようになります。
 更に延長しますと、医者ですから、多くの方が自分が病気になると思っているのではないか、それは、もちろん違うので、皆さん病気になられると一番パニック起こすのは奥さんだろうと思いますね、或いはお子さん。そうすると、皆さんの病気って皆さんの物じゃないのですね。
 そうやって考えて行くと、「死ぬって言うのは当たり前ですけど、実は人称変化する」ってことを、私は若い頃から言っておりました。「人称変化」ってどう言うことかと言うと、自分自身の死体と言うのは実は無いのです。自分自身の死体が発生した時は、それを見る自分がおりませんので、これを「一人称の死」と言うのです。なんで、そんなことを考えるかと言うと、解剖しているから当たり前で、解剖というのはどなたかの遺体を頂かないと出来ないのですね、これって結構面倒くさいことが色々とあるのです。お分かりかと思いますので、具体的には申し上げませんけど、トラブルが起こり易いこともあり、面倒くさいので、出来ることなら自分のを使えたら一番便利なんです。足が2本あるから1本使えば良いのではないか?と思うのですけど、それをやらないとするとですね、自分の解剖は出来ないのだなとしみじみ思います。ということは、「一人称の死」は、実は無いのです。そうですね、自分の死は他人の中にあるだけで、自分には無い。知ったこっちゃない。
 「三人称の死」と言うものが有ります。これは、ただ今現在がそうですが、世界的にみますと、何人も死んでますよ、御臨終を迎えられてる人は必ずいます。1分間に何人って死にますから世界中で。皆さん何の関係も無いですよね。正に知ったことでは無いので、これを「赤の他人」と日本では言います。赤の他人が死のうが生きようが私の知ったことでは無い。
 そうすると、死は論理的にも実際的にも「二人称の死」しか有りえないと言うのが分かってくる。知り合いの死です。これは、「臨死体験」というのが一時流行りましてですね、オームのちょっと前くらいに。随分流行ったのです。あれは、脳みそがやっているいたずらだと、私は説明するのですが、週刊誌なんかからよく取材の電話が掛かってきて、全部きちんと喋ると、当時の私の能力で喋りますと、15分掛かると分かりましたので、テープレコーダーに入れといて、電話が来たらそれを掛けようと思っていたくらいでした。
 あれは、亡くなった方が時々出て来るのですね、自分が死にそうになった時に、外から見ると全く意識があるようには見えないのですが、ご本人は夢を見てる。ある程度夢のようなものを見てる。一番よくあるのは、川が在って向こう岸から手招きしてるのです。それが、自分が知ってる死んだ人なんですけど、それが、おもしろいことに、死んだ叔母さんとか、死んだ従兄弟とか妙な人が出て来るのです。死んだ人がただ出てくるのだったら、田中角栄とかキリストとかが出てきてもいいんですよね、死んだ人ですから。そういうことはまず無いので、妙な親戚が出てくる。
 私は、色々調べて、ある時、ベトナム戦争に従軍したあるアメリカ兵が、自分のプラトーン、小隊ですね、戦死した奴が順繰りに全部出てきたというものを読んだら、それで分かったのですね、つまり、戦友と言うのは、寝食を共にし、生死を共にしてますので、家族より縁が深いと言う面があります。正に典型的な「二人称の死」なんですね。それで、しかも自分が体験してますから、死んで行くのを。そうすると、それが皆さん、我々が考える死なんですね、具体的な。そうすると、死んだ従兄弟が出てきても何の不思議も無いので、死んだ従兄弟の死に顔を初めて死んだ人として見たとか、叔母さんもそうですが、 五感から入った死がおそらく皆さんの自分が死にそうになった時に連想して思い出してくる死は、自分の五感を通した死だけだと思います。
 後は抽象的な概念です。ですから、それは身近な人だけが、言ってみれば、極端に言えば本当に死ぬのです。それが、私の長年のと言うか一つの結論でありまして、「死は常に二人称である」と。そう申し上げるしかないです。それは、五感を通して体験するものであります。後は、抽象になってしまいますから。
 これは、戦争なんか中々難しいと思いますが、要するに「指揮官と前線で戦っている兵隊の関係」でありまして、前線に戦っている兵隊にとって、今のベトナム戦争の兵隊もそうですが、死は現実ですが、後ろに居ると見えませんですね、数になってしまいます。これは、どこの軍人も同じだと思っていたら、アメリカの統合参謀本部がありますね、あそこの参謀長みたいな人がひょっと立ち上がるのを、(何で見たのか忘れましたが、テレビでしたが)、そして、机の上に箱があるのです。その箱を開けると、自分が在職している間に殉職した兵隊の写真が全部入ってるのですね。それが、「良い指揮官なんだなぁ」と言う気は前からしておりました。それで、理屈を言うと、「死」は、ですから「二人称」しかない。我々に一番大きな影響を与えると言うことです。もっと、日本人と言う風に考えて行きますと、今言ったのは、世界中誰でも同じでしょうと言う話です。
 我々が一番良く知っている言葉を、普通に目にするというのはおかしいのですが、概念として、昔から言うのは「生老病死」と言うもので、これは、「四苦八苦」の「四苦」ですね。「四苦八苦」とは、殆どの方が言えないのですが、生まれて歳を取って病をもって死ぬと言うことですが、これは、仏教の説話なんです。どういうことかと言いますと、お釈迦様が若い時の話なんですが、何とか城というとこに住んでまして、日本では都市を城とか呼ばないのですが、中国とか、インドとかヨーロッパとか、中世の都市はご存知でしょ? 都市は城郭で囲まれてまして、城郭都市ですからお釈迦様は王子様ですから、城郭の中に住んでて、年頃になるまで1歩も出たことがないのですね、この中は都市社会です。 余計なことですが、現在の日本は完全な都市社会ですから、皆さんはお釈迦様です。何を言いたいか、そのお釈迦様が若い時にですね、(城郭には)4つの門が在りますから、四角いので、これを出て行くと言う説話ですから、4つの門を出でて遊ぶこととなり、最初の門を出て赤ん坊に会い、次の門を出て老人に会い、その次の門を出て病人に会い、最後の門を出て死人に会う。実は1つずれてまして、赤ん坊の所は無くて、最後の門で坊さんに会って出家するという話になっているのですが、何だかお分かりになるでしょうか、この「四苦」と言うのが、人生そのもの、しかもこれは意識ではどうにもならない。これを「自然」と私は呼びます。人間の自然です。これを釈迦がどうして、この説話が何を意味するかと言うと、「都市社会に住んでいると、この生老病死のいずれにも出会わない。」これって、どの位会わないかと申しますと、今東京でお子さんが産まれる時に、ほぼ100パーセント病院で産まれます。また、92パーセントの方が病院で亡くなります。ですから、私は、東京都民は全て仮退院だと申し上げております。病院から出てきて、最後はまた病院に入りますから。皆さん仮退院状態です。この中に非常にはっきりした約束事がありまして、「自然の物は置かない、意図的に人の作った物しか置かない。」これは、色んな例がありますが、何だってここまで地面を埋めるのでしょうか。舗装する、そうでしょう、不便だとか、埃が立つとか、破傷風があるとか、色んなことを言うのですが、そんなものは全部言い訳でありまして、こう見てましたら、結構人工芝ですよね。そうでしょう?経費がどうとか色んなことを言うのですが、ようするに本音を私が代弁致しますと、「自然の土には何が入っているのか分からないので、いやなんですね。意識の世界でなくてはいけない」。
 で、一番良く使われる言葉で、例えば「雑草」と言う言葉がありまして、昭和の天皇陛下は、お付き(の者)が「雑草」と言うのを、一々注意されたという話が残っておりまして、「世の中に雑草と言う物はございません、全て名前があるのですから。お前が雑草と言うのは、草の名前を知らないだけだろ」と注意されたのだと思いますが、私は、「雑草」というものを定義しておりまして、どういう風に定義したかと言うと、「こんな物は植えた覚えが無いという草」なんです。勝手に出てくると皆さん許さないですよね。
 都市の中というのはそういうルールが厳然とあるのですが、長く言うとキリがないので、私が言いたいのは、「釈迦の時代にインドでは既に都会が成立していて、都会人が存在していたと言うこと」で、それがお釈迦様なんですよ、若い時の。それで、それが初めて門を出て、人生四苦八苦、生老病死だと気がつくと言うお話なんです。
 それで、「八苦」は何かと言うと、それに必然的に伴う感情を言うので、例えばキリスト教ですと、愛ということを説くわけですが、仏教では、これ(愛)を八苦の一つとして、「愛は別離の苦しみ」という風に書きます。そうですね、誰かに愛情を持てば、必ずどちらかが先に死ぬ、いずれにせよ、死に別れます。恋人に限りません、親子でもそうですし、親友でもそうです。だから、愛は別離の苦しみと書くのです。キリスト教は逆に、愛と言う物をトップに置きますよね。
 この仏教的な世界というのが、日本人の死生観の一番基本になって、これは自然ですから、「まあ、しょうがない死ぬのは」ってことですね。それで、「自然の現象であり意識ではない」と言うことを申し上げて。
 これが何で問題になってくるのかと言うと、今、申し上げましたように、社会がどんどん意識化されて行きます。これを、皆さん進歩と考え、そう呼んで来たのです。意識化されてくればくるほど、我々自身が抱えている自然は、考える対象では無くなってまいりますので、突然降ってきた災難みたいになってまいります。この間の地震みたいなものがありますと、皆さん思い出して、やはり世界にはそのようなことがあるのだなあと、ちょっと揺り戻しがきますが、間もなく忘れます。そして、どんどんどんどん意識の世界に入り込んで行ってと言う傾向を強くして参ります。
 でも、いくら意識の世界に入って行ってもどうしても駄目なものがありまして、それが何かと言いますと、皆さん方の身体であります。私は解剖をやっておりましたから、皆さん方がお亡くなりになっても身体は残っております。これは不思議で生きてる時と死んでる時と、例えば分子の数を数えて種類を数えあげてリストを作ったら、全然変わらないのですね。1分や2分で変わるはずが無い。だけど、死んでるのです。「何でしょうかこれは? 生きてる」って不思議なことなんですが、では、その身体は皆さんの意識と一緒に死ぬかと言うと死にません。よくお爺さんが亡くなって、折角髭を剃ってあげたのに、次の日になったら伸びてる。別に毛が伸びても不思議はありません。脳みそと一緒に毛が死ななければいけない義理は無いのです。
 もっと言えば、私なんか実験によく(皮膚を)使っていました、最初の私の学位論文は皮膚だったのですが、皮膚に鶏を普通使ってました。ひよこですね。卵の中の皮膚を使って、飼っていたのですが、培養器に。医学部ですから、そういう実験の報告をすると、必ず人間ではどうですかと良く聞かれるのですね。人間の材料で実験をやるために、皆さんに皮膚を下さいと言ってもくれないのです。仕方ないからカミソリで自分で削いでですね、大分年が経つまで残ってました、痕が。でも、これは自分のですから、小さくしてから使うのですが、残るのですね、余りが出ますから。これが他人のだったら良いのですけど、自分の皮膚ですから、余ったら勿体ないじゃないですか。だから、冷蔵庫に入れてとって置くのですね。次の日でもちゃんと使えますから。皮膚は切り出しても次の日も生きてます。ご存知でしょうが、腎臓なんかは、いわゆる、「3兆候死」って言いまして、死を宣告された人から1時間まで取って大丈夫だということが分かってますね。血液が止まったからと言って腎臓が死ぬわけではない。死ぬのは、心臓と脳だけです。心臓と脳は足が速いんです。何を言おうか忘れてしまったのですが。「身体が実は根本」なのですね。自衛隊の方も典型的にそう思っているでしょうけど。
 でも、戦前の軍隊は「精神一到何事か成らざらん」みたいなところがありまして、僕、軍隊の歴史を見てて医学系で一番驚くのは、「栄養失調」ですね。一般の方は栄養失調という言葉は何時できたかご存知無いと思うのですが、「戦争と食糧」という本を中国戦線に従軍していた軍医さんが、戦後昭和20年にガリ版刷りで出して、全国の医科大学だけに配りました。戦後40年だか50年を記念して小さな出版社が活版にしましたけど、ガリ版刷りで医学部の図書館にだけ入ったのですが、それは、何かと言うとですね、中国戦線に従軍していた、それこそ盧溝橋以来の昭和12年から始まった戦争ですが、その医者がですね、前線から後送されてくる兵隊さんに妙な病気がある、ボーとしていて何にもしない。それで、治療法が分からなくて、入院させておくと1週間目位には必ず亡くなる。これにやがて病名が付きます。これが栄養失調です。ガ島とかインパールとかで始まった話では無いと知って愕然としました。
 それは、僕は前からこういう商売ですから考えたのですが、江戸の侍と戦国の侍は言うことが180度違う。江戸の侍は何と言ったかというと「武士は食わねど高楊枝」と言ったのです。戦国の侍は何と言ったかというと「腹は減っては戦は出来ない」と言ったのです。そうでしょう、具体的にやっている奴と抽象的にやっている奴との違いがそこに見事に出てくるんですね~。日本陸軍はどうも江戸を引きずっていったような気がする。
 戦国名将言行録がありまして、これは嘘の話がだいぶ入っていると思いますけど、この中に、私が好きな話がありまして、小田原の北条氏康の子供ですかね、ちょっと今思い出せないのですが、北条氏の中興の祖ではないのですが、その人の話は、合戦の前に息子と一緒に飯を掻っ込んでいるですが、ご飯に汁を掛けて大急ぎで掻っ込むのですが、なんと、氏康の息子が汁をおかわりするのですね。すると、おやじが突然茶碗を置いて慨嘆するんです。「北条の家も俺の代で終わりだ」と言うのですね。自分が毎日食っている飯に掛ける汁の量も初めに分からないようでは、この戦国で人の心が分かるわけは無い。実際に小田原はあの代で滅びますね。それで、ある時、私は、夏休みの終わり頃ですね、リゾートマンションに呼ばれて話に行きまして、前の晩から泊まり込んで、次の日、夏休みですから、何かの会があって、お父さんお母さんが子供さんを連れて来てたのですね。そこで、私が寝坊して行った時には、もう朝飯が大体済んでまして、テーブルの上を見ましたら、大量の食べ残しなんですよ、至るところ。なるほど、今は北条氏康ばかりだなあ~と。自分の食べる朝飯の量も分からなくて取り過ぎて、皆残してるのですね。
 これ何が言いたいかと言うと、ボディコンという言葉がありますが、身体に対してセンシティブではないんですね。これは、近代というか現代の日本がずっと動いてきた道であって、これをですね、皆さんお読みになられてますか、唐木順三と言う評論家がいたのですが、文学の。この方が戦後に書かれたのですが、私は面白い本だと思います。どういう本かと申しますと、「型の喪失」と言う本を書かれたのです。「型」ですね、「型を失った」これはどういうことかと言いますと、日本は明治維新でまず大きく「型」を崩した。 日本の文化というのは非常に身体に対して敏感でございまして、皆さん伝統芸能とか華道とか茶道とか色々ありますが、茶道なんてどうお考えか知りませんが、明らかにあれは私から見ると身体の所作でございます。身体の動かし方なんです、非常に中心になっておりますのは。お茶を飲んでるだけではないのです。畳の何とかって、「畳の3つ」とか言ってますけど、「合理的に身体を美しく動かすとはどういうことか」に対して日本の文化は非常に感受性が高かったのですね。そういう風な身体の動かし方がある合理性をもって動いていきますと、ある限度まで洗練されていきます。それを「型」と言います。
 それが比喩的に色んなふうに使われるようになったのですが、比喩的に使われるようになった「型」は、ご存知のように、型通り、型のごとくで死んでしまいます。元々は、しかし人の動きですから決して死んでませんね。元々生きた物です。唐木さんはその指摘をして、明治になってまず身体の動きがどこへ入って来たか、軍隊に入って来たのですね。
 しょうがないとこがあり、近代的な軍隊を作るために、「気を付け」から始まって、普段やってないことをやらせる。この身体の動きがどの位違って来たかというのを、今の状況で具体的に示してくれる方を私は一人知ってます。武道をやっている甲野善紀さんです。
 江戸の人の歩き方はこうだったよという。こんな歩き方してたのです。「ナンバ」って言うのですけど。江戸の絵巻物を見ますと明らかに「ナンバ歩き」ですね。伴大納言絵巻で、民衆が逃げるところが書いてありますが、「ナンバで逃げてます」。
 そういうふうにして、身体の動き方と言うのは文化全体に関わっていることであって、言ってみればそこだけ変えるというのは難しいですね。ですから、現代社会において畳がここまで急に無くなったか、結局こういう風な状況で椅子に座るという身体の動き方に統一するしかなくなったのですね、日本は。私は小学校の時は既に椅子に座ってましたから。畳じゃ無かったですから。だけども、躾とか何かは畳でやられてましたから、正座するとかですね。これは相当に可笑しなことに、頭で考えていけば身体は思うようになるはずなんですが、明治以降かなり優先したのが先ほど申し上げた日本陸軍の「飯は食わなくても兵隊は働く」と言う現地調達でしょ、これは。これは駄目ですね。では、どこに問題があったか、身体を無視したこと。身体は簡単には動かせません。そうでしょう。
 でも、明治にフランス人が相撲を取っている写真をご覧になった方があると思いますが、見事なもので、完全なへっぴり腰です。これがへっぴり腰って言う見事なへっぴり腰。西洋の文化だとそうなってしまうのですね。我々は違う文化を持っていたのですけど。トイレも変わりましたね。トイレを変えて畳を変えてですね、皆さん、それ、どういう気持ちでおやりになってますか。本気でやってます?トイレはこうでなくてはいけない。普通の家に男性のトイレを置いてはいけない。そうでしょ、置いてないですよね日本は。男性用の小便器のあるお家に住んでおられる方何人おられますか?(数人が挙手)見てのとおりくらいです。
 実は、子供が産まれなくて困ると相談を受けたある県庁の人が言ってました。自分の下にいる女性が、奥さんなんですけど、「健康なのに子供が生まれない」その人何と言ったか、「あなたの家に男用の(旦那用の)便器あるか?」「むろんありません」「じゃ作れ」それで、2年したら無事に子供が出来ました。男の扱い方が問題で、便器のせいではないのですが、身体のことは簡単には理屈になりません。
 「型の喪失」は、そうやって、日本の伝統的な身体の型は、明治が壊して行った。その型を何とか残していったのが、別の型ではあったけど、軍隊であった。そうですね、軍は身体の訓練ですから。その軍が終戦を期に消えてしまった。従って、「文化の一つの大事な柱の軍隊が抜けたのが戦後だった」と言うのが評論でありました、乱暴に言えば。私は、相当に感銘を受けました、私自身が身体を専門にやってましたから。
 で、若い人が当時、30年も40年も前ですが、電車に乗る時に行儀が悪い、身体は大きくなったのにどうして行儀が悪いか、お分かりですよね。大きくなった身体をどう取り扱うかという躾を一切受けてないのです。若い人が悪いのではなくて、身体の扱い方が分らなくなったから。今日私は新幹線で帰って来ましたけど、実は、この人そうだろうなと思う若い女性が、前の肘掛に足を乗っけて引っくり返ってました。もう、爺ですから注意しませんけど、うっかりすると逆切れして刺されるかもしれない、相手が女の人だともっと恐いですけど。こういう世界にしてしまいましたね。文化と言うものは、書いたものとかではなく、一番の根本は身体なんです。
 で、「意識」は身体に比べたら次に来ます。それは、軍隊は良く知ってました。そうでしょう、戦後それを消したことがそのまま身体の軽視に繋がって行ったなという気がします。身体を無視しますと、出来る事が出来なくなっちゃいます。特にマニュアルが無い時の動きは身体の動きです。いざっと言う時に身体が動くのは誰でもご存知だと思います。私なんか、「三十六計逃げるに如かず」で、小さい時から喧嘩は弱いですから、逃げるのは非常に得意です。だから、津波なんか来た時は、私は真っ先に逃げた方だと思うのですが、子供達はそういう訓練も多分受けていない。
 私が一番感じたのは、池田小学校です。ご存知でしょうが、変な男が小学校に入ってきて出刃包丁で、6人か7人の子供を刺したのですね。僕の時代の小学校だったら、何かちょっとでも事件が起こったら、全員学校からいなくなってます。「蜘蛛の子を散らす」って言いますけど、今の子はそのような自衛の本能が消されているのではないでしょうか。親が、お母さんが危ない所には一切近づけないというやり方を致しますので、これを続けていくとはっきり言うと、全く役に立たない人が出来てくる可能性がある。子供に対しては、私は望みを捨ててません。いくつになっても実は戻れるのですね、生き物ですから。生存上必要だと思えば、だから大きくなって訓練すればいいのです、小さい時に訓練されてない人は。そういう機会を作っていくべきかなと、いつも思ってまして、小さい子が可哀そうかなと思います。
 実は、私は幼稚園の理事長を30年やらされてまして、で、年に1回か2回は子供達を連れて山に行きます。私が一番危ないのですが、4歳の子供が6メートル位の崖から落ちてもビクともしませんが、私が6メーターの崖から落ちたら、もうこれは死んでます。そうでなきゃ骨を折って、あの爺さんとうとうその後死んだよという話になります。そういう意味で、実は、戦後の文化に根本に問題があるとしたら、身体をどう位置付けるか。身体と意識の関係について申し上げますと、身体は完成していけば型になります。先ほど、甲野さんのことを申し上げましたが、ご覧になっておられない方は、一度本人を呼んで、あの方は理屈を言わせると駄目ですが、家に来てデモンストレーションをやるのですが、身体の動かし方は見事です。ご自分の目で見られたら如何と思います。誰でも納得しますよ、詐欺ではないですよ。本物かどうかを見分けるのは皆さんの目次第ですけど。
 今、「意識の世界」について話してますが、題目が大きく広範に渉りますので、ちょっと整理しなくてはいけません。皆さん、どのようなお考えか知りませんが、「意識」というのは、人間にとって非常に基本的な脳の機能の働きです。意識がどういうものかというのは、もうお分かりだと思います。周囲をご覧になって意識の無い方がおられますから、ご自分と比べられたら意識とはどういうものかお分かりでしょう。そういう風に意識を定義致しますと、意識は実はちゃんと動物からあるのがわかります。犬も猫も、寝てるのと起きてるのと区別が付きます。虫はどうかと言いますと、最近は睡眠に関する遺伝子が昆虫でも見つかりますので、意識が関わっている。だから、虫も起きたり寝たりしてるに違いない。何時寝てるか起きてるか知りませんけど。じっとしてる時は寝てるのだと思ってますが。
 昔の人が「一寸の虫にも五分の魂」と言ったのもそうなのかもしれません。この意識というのは、皆さん、主人公だと思っているわけでしょう?ああしたいからこうしたとか。本当でしょうか?朝起きる時に起きたいから起きるのでしょうか?勝手に目が覚めるのですね。目覚ましが鳴ったから目が覚めたとか、大きな音がしたから目が覚めた。寝る時はどうか?寝床をしつらえて、温度を温かくして、風が吹かないようにして、音がしないようにして、静かにして横になりますよね。
 そこで、「精神一到何事かならざらん」断固として寝ると思ったら、恐らく寝むれないでしょう。なんと、意識は主人公では無いですよね。主人公は身体ですよ。気温等都合良くしてやればいつの間にか意識は消えるのです。消えた意識は自分では戻れませんから、外部の刺激に頼って起きるのです。さもなきゃ充分に寝てひとりでに目が覚めると言うのですが、皆さんその意識をどの位信用していますか? 私は学生を教えていましたから、人生の3分の1は意識は無いのですね。学生にこうやって講義してますと。「あいつらは人生の半分位は意識が無い」と良く分かります。それで、考えてどうこうすると言いませんか?どこまで信用できるのでしょうか?
 これは、今まで申し上げてきた身体の問題とがっちり結びついてます。意識が中心になりますと、死の問題というのが問題というふうに出てきます。元々先ほど申し上げたように問題ではないですよね。だって、皆さん毎日毎日ある意味で死んでるわけで、そのまま目が覚めなかったらそれっきりですよね。そうでしょう。まだ、目が覚めるつもりで寝てるだけであって、何だかまだ目が覚めないなとかで、途中で気がつくわけではないですよね。そこまで、考えると自分の死なんてものは馬鹿みたいなものです。
 先ほど控室で会長さんは空軍だと言われましたが、私は良く飛行機に乗るのですが、良く飛行機は落ちるんですね、ラオスに行ってラオスの国内航空によく乗るのですが、ラオスの国内航空は、私は計算しているのですが、年に2回は落ちていますね。しっかり落ちるのです。一昨年、ビエンチャンからサムナワと言うところに行った時に、17人乗りの飛行機ですが、操縦席にドアなんか無いのですよ。一番前の座席に座っていると計器が全部見えるのですね。「ちょっと俺に運転させろよ」と言いたくなるような状況で飛んで行って、無事に到着して、その後、虫採りに行って、夕方ホテルに戻ったら、私が乗っていた飛行機が谷底に落っこちてバラバラになっているのをテレビでやっていたのですね。僕はテレビの画面を写真に撮って、使用前使用後みたいな写真を持っていますよ。最初に行った時はもっと凄くて、ラオス航空は、中国製の飛行機を25機買ったと言うのですが、もう20年位前の話ですが、空港でこれから乗ると言う時に、「そのうち23機は故障するか落ちるかだ」と言うのですね。だから、今飛んでいる飛行機は大丈夫だと言うのですね。安心するでしょ、皆さん。戦争のベテランですね、もう。25人の将兵のうち23人が死んで、今生き残っているのは2人だと言う。だから、あいつらは大丈夫だと言う。私は好きですねそのような論理は。これは、自分が主人公では無いと、皆さんしばしばお忘れになるでしょ? で、現在はここが機能してなかったら全然駄目ですね。そうですね、全てが意識的になってます。で、無意識でやっていることは大体排除されていきます。僕が煙草を吸うから言うわけではないのですが、あれだけ煙草が嫌われるのは、煙草は理屈にならないからです。どういう意味で理屈にならないかと言うと、「何で俺が今あれに火を点けて煙を吸い込まなくてはいけないか」という理由が分からないからですよ。そういう理由が分からない、理屈が分からないことはどんどん排除されて行くのです、この世界からは。そうは思いませんか?
 最近、私は「自分の壁」という本を書いたのですが、皆さん自分というのは意識だと思っているでしょ?だから、「寝てて目が覚めると自分が戻って来た」となりますね。「意識が無い状態から意識が戻ると自分が戻った」と言う言い方をしますね。これは何だということです。自分の脳みそがどこにあるか分かっているのでしょうか?
 どこにあるかと言うと、「空間転移」と言っているのですけど、動物は自分が世界のどこにいるか分かっていないと行動出来ないのです。だから、「空間転移の領野」と言うのが脳に在って、ここの中に、何と「自分と言う概念」が入ってます。「空間転移」って色んなことをするのですが、ピカソの絵も空間転移のいたずらで、「空間転移の領野」を止めてしまいますと、横から見た鼻と前から見た目を一緒に意図的に描くと言うのは、天才は、「空間転移」を自由に出来るのですね。何故、「空間転移の領野」が御自分に有るのかお分かりですか?これは、何のことないのですよ。これは「ナビ」なんです。「ナビ」と言うのは、今は車に殆ど付いてますますよね。「ナビ」は何かと言うと地図が入ってます。地図だけ入ってても「ナビ」は使えません、当たり前でしょう。ナビにはもう一つ絶対に必要なものがあって、その必要なものは「現在位置の表示」でございます。昔、田舎の村の看板は役場の前に立っているのですよね。僕は田舎によく行ってましたから、バス降りて看板見て子ども心に頭にきてたことを覚えてます。そういう看板の一部の看板は、看板が立っている位置の現在位置が描かれていない。村には詳しくはなるのですが、どちらに行って良いのか分からない。皆さん、頭の中に実は世界の地図を持っていて、そこに現在位置表示がいつも入っているのです。これが何と「生物学的に言って自分」ですよ。ナビという機械が何故出来たかと言うと、脳みその中にナビが有るから出来たのです。
 「機械」って二つあります。いじくっているうちにいつの間にか出来た物と自分の頭の中に在るから作れたという物ですね。楽器で言いますとバイオリンやお琴なんかは遊んでいる内に出来そうでしょう?だって、糸を引っ張ってはじいたら音がしますもの。強く引っ張ったら別の音がするし、この糸ではどうかなどと色々やっているうちに、あんな楽器出来てしまうような気がするでしょ、経験的に。ピアノはどうですか?あんな物誰が考えるのですか。気に入らないのは、全ての弦が同じ様に並んでいるじゃないですか、同じ大きさでズーッと並んでますよね。何ですかあれは。子供の頃に、ピアノの上手な女の子が悲しそうな顔で言ったのを覚えてますが、「プロのピアニストになりたいのだけど、私は手が小さいから駄目なの」って言って、僕は何と忠告したか覚えてますよ。「ピアノを小さくすればいいじゃないか」と言ったのですね。なんで小さくしないんですかね、「遠くの(鍵盤)方なんか余り使わないのだから、小さくしてこちらに寄せればいいだろ」と言いましたね。あれ、何とね、皆さん方見たことはないでしょうけど、自分の脳みそにピアノの鍵盤と同じルールで自分の神経細胞が並んでるのですよ。あれ、周波数の対数を取って統計通りにならんでいるのです。周波数とか対数とか言うと途端にどっか行ってしまう人がいますけど、頭の中にあれ(ピアノ)と同じ周波数があるのです。それで、こだわってこんな変な物を作ったな。「ナビ」も同じで、気の利いた奴は皆頭の中に持ってるんですよ、動物なら。そうですよね、だから家に帰るのですね。
 ただ、これの面白いところはですね、これを「依怙贔屓」するのです、この中だけ。それはどうして分かるかと言うと、子供の、小学生の質問で分かります。時々、素直な面白い質問するでしょう、「口の中に在る時に唾は汚くないのだけど、いったん外に出すとどうして汚いの?」って聞くんですね。私が病院に行って皆さん方に、「これから検査しますので、この滅菌済みの綺麗なシャーレに唾を吐いて下さい」と言って、「検査が終わりましたのでもう一度飲んで下さい」と言う。皆さんどうします?(嫌だと思いますよ)何で嫌なんだって考えたことありますか? これはですね、(唾が)外に出たと意識すると、これは元々依怙贔屓しているので、「依怙贔屓」分がマイナスになるというのが私の意見なんです。
 これが、水洗便所が徹底的に普及した理由ですね。僕らの頃は水洗便所は一つも無かったですよ。よほど珍しく、山奥の温泉宿なんかに行くと(便所が)川の上になってました。これは元々水洗です。水洗便所は物凄いスピードで普及しました。でも良く考えてみると、ただ今現在、私がレントゲンみたいな目を持っているわけではないですが、皆さんお腹の中に溜めてますよね?腹の中に溜めているのに自分が汚いと思っている方いますか? 一人もいないはずですよ。完全に「依怙贔屓」で、中にいる間はいいのです。いったん出たら駄目なんです。
 これは、なんでこんなところにあるか分かったかと言うと、ここ(頭を指す)が壊れた人がいるのですね。脳みそは大体壊れるからわかるのです。なんと、脳動脈瘤が出て丁度ここから出血してですね、また、運がいいと言うか悪いと言うか、その人が30代のアメリカ人ですけど、専門が神経科学の専門家だったのです。脳卒中の発作を起こしたものですから、発作を起こした時から直ぐに脳出血、脳卒中だと分かって、何とそのご本人が治ってから本を書いたのですが、その時にどう思ったかと言うと、「脳卒中ですから症状を覚えておかなけりゃ」と思ったそうです。相当にプロ根性ですよね。本人はどんな感じだったかと言うと、「馬鹿の壁」にも書きましたけど、「自分が水になっていくような感じがする」と書いてます。皆さん、その場で液体になっていくと、形が消えてズルズルっと広がっていきますでしょ。そして、最終的にどうなるかと言うと、全世界が自分になります。
 宇宙との一体感、世界との一体感って、宗教体感はこれですね。なにも脳みそ壊れなくても出来るのです。これは、例えば、アメリカの文化人類学者がメキシコのシャーマンに入門して、薬使ったり、茸食べたりとかして、こういう体験をして書かれてます。宗教体験には普通にある体験です、「世界との一体感」、「宇宙との一体感」と言うのは。これは本当に気持ちがいいもので、何故かと申しますと、自分以外の物は無くなってしまいます(世界が自分になりますから)ので、見えてる範囲も、実は自分が見てるのですから、自分の目の中にあるわけで、それを自分だと思えば自分ですよね、それをそうしないのは、運動するのに仕切りを自分で入れているからであって、そのしきりを壊せば脳に入っている世界は全部自分です。
 逆にそこから推論出来るのは、「そういう世界に入って至福の感覚に浸っている人は絶対に動かないだろうな」と言うことです。現在位置表示が無いので動けませんね。その位世界と一体化しているのです。自分とはそういうものですね。これは、文科系の人も色んなことを言いますけど、例えば、「人間は考える葦である」と言ったパスカルは、「自己愛が諸悪の根源」だと言っているのですが、これが一番いいのだと言ってます。面白いことに、文化がですね、これを立てる文化と言うものが出来てきたと私は思ってます。パスカルの所属していた文化がそうでありまして、主体即ち自分、これを立てると色んな厄介なことが起こります。自己(大事なことをはしょっているのですが)、これは、戦後になってから強くなったと思いませんか? 個人とかもっと言えば個ですね。これは明らかに日本の文化ではないとご存知ですよね? 日本の文化は元々なんと言ったかというと、例えば仏教ですとこう言ってます。「無我」と言ってます。要は若い人に、「無我」と言っても分からないのではないでしょうか。だから、先ほど申しましたが、死ぬのは自分が死ぬわけではない、病気になるのもひょっとしたら自分が病気になるのではない。家族の方が堪えるのだから、自分の病気はそうですよね?自分が死んでもびっくりするのは家族であって、自分ではないですよ、びっくりする自分がいないのですから。
 でも、そこにこういう物を立てる文化が、暗黙ではありますが急速に入って来ましたよね。どういう風になったかと言うと、年よりはどちらかと言うと、旧来の特攻隊が出すような、特攻に出た人は今でも遺書が残ってますし、逝きそびれたと言うと変ですけど、逝くはずで逝く機会が無くて終戦になった(特攻隊の生き残りの方に)、8月15日に若いジャーナリストがインタビューしてます。「若い身空でどうして(特攻隊に)志願する気になったのですか?」と。必ず似たような返事をしてますね、「将来の子供達、身近な人達のため」と、2人称環境ですよ、常に。死と同じです。自分のためと言った人はいないし、天皇陛下のためお国のためでは無いのです。
 ところが、こういうのが入って来ましたから、「これ何だろう?」、「何時から入って来たのだろう?」と考えると、もうはっきりしておりまして、明治になってからで、何と言ったかといいますと「近代的自我」と申しました。こんなややこしい言葉が出来る位に、大学ではインテリはこういうことを考えるのですね。
 僕の個人的な意見ですが、最近朝日新聞のインタビューがありまして、朝日新聞は実は漱石を再録してるのですね。新しいことを書くと碌なことは無いので、明治に戻って三四郎を載っけたりすると、案外評判がいいと言ってました。「何で今頃漱石なんですか?」と、私に聞きに来まして、自分でやっておいて僕に聞きに来ることはないでしょ。だけど、私には良くわかるのです、多分ですね。この問題で一番悩んだ明治のうちの一人が漱石であります。有名なのが、ロンドンに行ってうつ病になって、帰って来て胃潰瘍になって、49歳で胃潰瘍で死んでます。何で胃潰瘍になったか? 当然ですが、ずっと江戸以来の自分と言うものがあったのをあそこで切り替えていけるのですが、ここは文化の一番根本に関わって来ますから、生き方を含めて。大きなストレスになったのだと思います。
 漱石は学習院で、当時、「私の個人主義」と言う講演をしております。それが、学芸文庫になって残っております。私は若い時に読みましたが何を言っているのか分かりませんでした。未だにわかっているとは言いません。ただ、その漱石が最期に何て言ったかご存知でしょうか? 有名な言葉になってますけど、「天に則って私は去る・則天去私」と言ってます。漱石は49歳になって胃潰瘍に苦しんで世を去ってますね。先ほどから言ってます死の話と合ってます。「死ぬのは私では無い、私は関係ないよ」と。
 しかし、西洋近代的自我というのはその後も入って来て、私は小学校2年生で終戦を迎えましたので、実質的には戦後の教育だけを受けてきたと言っても言いくらい。その中では、自我・個性、個性を伸ばせと言うのは学校から言われた訳ではない。何となく世間の大人から言われる。そういう雰囲気が有りましたね。私は生意気ですから、「個性って生まれつきに持っているものだよな、一生変わらないのだよな、生物学を多少知っていればつまり遺伝子で決まっている事が個性だな、遺伝子で決まっているのは血液型だよな。」と思いませんか?
 そうなんです、「血液型」なんです。ABOだけではないですよ、血液型は色んな種類がありまして、学生の頃は、・・・(私はいつまで喋っていいのでしょうか)・・・。
 血液型は生まれつきですよ。これは一生変わりませんよ。どうしても変えたい人は骨髄移植するしかないです。つまり、自分の血液の造血細胞、放射線で全部殺して、他人のを貰えば血液型は変えられますけど。あれは苦しいですよ。白血病でもなければそのようなことをする必要はないですが。でも、遺伝子で決まっている個性を伸ばせというのは無理な話しで、血液型をどうやって伸ばすのですか、A―型、B―型とか言うのですか?伸びませんよそんなものは。むしろ、個性というのは在ってしょうがないもので、顔つきと同じですよ。顔がどうであろうと、年を取ったら顔つきは自分で責任を持てと言いますけど、顔の造作は独りでに決まっているのであって、どうにもこうにもなりませんね。
 それで、このまま身体の話にもなるのですが、そこで中心になってくるのが、そういうことを中心にした自分なのですが、これは若い人は本当に困っているというのを皆さんお気づきではなかったでしょうか? 特攻隊を出すようなああいう社会から、つまり世のため人のための社会から、自分という社会に移ろうとしたらとても難しいですよ。だから、大人の暗黙の教育は、「人生自分のもの」、そうですね、「自分でなんとかしろ」、確かに、自分で自立できるようにならないと人の為にはならないのですが、そういう話とは別に、「自分には自我が有る」となってますから、自分が、そうすると若い人は悩むのですね、「本当の自分があるはずだ」と。幻覚ですね、いつの間にか社会的な幻覚が出来上がってます。そこから出てきた言葉が「自分探し」で、私が15年くらい前に北里大学に勤めていて、一般教育を教えていた時は、結構普通に学生は言ってましたですね、会話の中で「自分探し」と。私は一応教師ですから、聞き咎めると、「お前は今、自分探しと言ったな、探してるお前は誰なんだ」と注意するのですけど。そうでしょう、ある種の幻覚、幻想としか思えないですよね。それで、イラクに行った方がいましたね、亡くなった方が。誰も責任は取れませんよね。
 皆さんお考えになったかもしれませんけど、例えば、英語を習うと主語が無ければ駄目だと怒られますね。本当はこんなこと書いちゃいけないと言われますが、どうしてガールではいけないのですかと言われます。「I am a boy」って教わりますよね。皆さん五月蠅いと思ったことありませんか。何が言いたいかと言うと、英語でこう書いたらどうですか? 「am a boy」と書いて、今の先生は真面目だから、こう書いたらダメですよね。「何で(I)を付けないのだ?」と。学生は、「(am)と書いたら主語は(I)にきまってるから、(I)はいらないでしょ」こう言ったことはありませんか?私は実は屁理屈を言ってるのですけど、ラテン語を勉強しますと、(I)はいりません。
だから、デカルトの有名な「我思う 故に 我あり(Cogito ergo Sum)」は「我思う」は(Cogito)の一言です。我なんて言ってませんよ。何故、(Cogito)で良いかと言うと、これは、amと同じで1人称単数現在ですから、(Cogito)と言ったら主体は私に決まっているのです。日本語では、しょっちゅうそれをやりますから、昨日も私が家を出る時に「行ってくるよ」と言いましたけど、「私は行って来る」とは言いませんよ。アメリカ人は何故一々(I)と言うのでしょう。一々(I)と言うことによって、物事には主体が在るということを徹底的に教え込んでるわけです。でも、ローマ時代に戻ったら、ローマ人はそんなことは考えていませんね、恐らく。ラテン語だけでなく、ラテン系の語学を勉強された方は大変ではなかったですか?、動詞が一々変化することを。英語は簡単にしてますよね、かなり。ドイツ語にしたって結構厄介で、一々人称変化するのですから、be動詞は。
この後、(Cogito)の後は「故に」ですよね。それは(ergo)で。その後は「我あり」(Sum)と来るわけです。(Sim)は1人称単数現在、英語で(am)ですよね、要りませんよ主客は。
 じゃ、何故、近代の西洋語というのは、「あんなにきちんと動詞変化させているのですか?」、「書く必要性の無い主客をどうして入れるのか?」というのは、ああいう文化以外の人が異議を申し立てる以外に無いのです。アメリカなんかWHOとかTPPとかやたら略語が好きなくせに、必ず(I)を入れるでしょう。国連で英語を使っている連中に、「日本は(I)を抜け」と(言いたい)・・・そう思いませんか?
ラテン系なんか無くても全然いいのですよ、あれだけ動詞が変化するのですから。実際スペイン語は要りませんね。動詞をいきなり言っても十分に通じるのですから。
 これは、実は西洋近代なのです。西洋近代は世界の一部で歴史の一部でしょ?でも、英語の先生は律儀に「主語が無ければ英語ではありません」と言いますね。金谷さんて、カナダで25年も日本語を教えられている、もう定年になられたかもしれませんが、その先生に伺ったことがありますが、「主語がないと文章にならない文法を持っている言語は、現代世界で使われている言語の中でも7か国語くらいしかない。」と言っておられました。全部西洋の言語だそうです。
 これは、同時に、何を意味するかと言うと、「常に主体が在る」ということを意識させます。特に「私」。なんでこんなことになったかというと、僕は専門家ではないので良くわからないのですが、一ツ橋大学の学長を2期務められた阿部欣也さんが、ドイツ中世史の専門家だったのですが、彼の本に少し書いてありました。
 なぜ、西洋で主体が重要になってきたかと言うと、それは、11世紀頃からであって、ルネッサンスのちょっと前ですね、中世の盛りというか終わり頃に、「告解」、カトリックでは「懺悔」と言いますが、これを徹底的に奨励するようになった。そうすると、普通の真面目な信者さんは、月に1度か週に1度か知りませんが、信者さんは神父さんに「私はこれこれ悪いことをしました」と言って神様に許しを乞う。これが自意識を強くしたのです。
そうでしょう?皆さん、もし、急に俄か信者になって懺悔に行くとすると、日本人が言いそうなことは、「あいつはあんなことを言って俺をいじめた」とか人の告げ口をするのではないですか、神様に。私は、そんな気がしますね。「私はこんな悪いことをしました」とかまず、殆ど言わないですね。「あの野郎悪い奴です」とか。そうでしょう?
 それを、キリスト教は、原罪ですから、全ての人間は罪人ですからと自分を意識させるという文化が、そこから広がっているのではないか。そうすると、自然に物語が出来まして、特に主客が必ず在りますから、物事には主体が在ると言う物語性を西洋の近代は持ちました。
だから、科学の世界でも何十人でやった仕事でもノーベル賞でしょ? 特に19世紀はそれが強かった。天才が学問なり芸術を進める、天才と言われる人が一番出て来るのは19世紀のヨーロッパです。日本を見ますと、誰がその仕事をしたのか良く分かりません。私は昔からそう思ってました、研究者ですから。
 当然「独創性」とかなんか小さい時から言われるのです、若い時から。「独創性」って、私が研究者になって一番悩んだ言葉の一つです。だって、物を考える時に私は日本語で考えてますけど、日本語は俺が作ったわけではない。もし、本当に私だけが、分かって私だけが理解できるような理論を私が考えたとしますと、定義により他の人には通じません。そうじゃありませんか?
 アインシュタインの仕事が如何に「独創的」かと言いますと、他の学者が理解するからノーベル賞になるのであって、分からなかったらどうしようもないですよ。他の人が分かると言うことは他の人がいずれ考え付く可能性があったと言うことですよ。
 実は独創性のある人は他のもたくさん知ってました。何故かと言うと、私は1年間精神科の病院にアルバイトで行ってたのですが、他の人が一切理解出来ない理屈を言う人がたくさんおりました。だから「主体という物を立てる文化」は非常に広がった。実質的には上手くいったのですが、良く考えると変なのです。意識の話としてズーッと言ってきましたけど、これが社会的に通用してしまうものですから。
 例えば、皆さんにとって嫌な言葉かもしれませんが、「戦争責任」という言葉がよく言われて、日本では大体ぐずぐずになって消えてしまうのですね。時々必死になって言う人もいますけど、当たり前なんです、私が考えると。何故なら、ドイツは「戦争責任」をとってどうとか言うのです。それは、彼らのあの世界は、ドイツとイギリスだったら行為に主体が存在するという物語については暗黙の合意があるのです。だから、誰が悪かったかと言うと、ナチが悪かったので、ヒットラーが悪かったでいいのです。主体がありますから。
 皆さんそうは思っていないでしょう?自衛隊もそうだと思いますけど、役所でも。大体書類がありますよね、その書類のしたにハンコを押す欄がありますよね。見てますと10位ありますよね?それに順繰りにハンコ押していくのです。その書類を見ると、ここにハンコを押した奴は誰も責任が無いというハンコだと思ってます。そうですよね?
 御前会議で、その場の雰囲気でというか空気で決めることがあり、空気で決めると言うのは日本の悪いことだと言いますが、僕は長い間、教授会に出たり、日本流の会議に出ましたが、何故それが悪いのか良く分からないのです。つまり、10人が、10人の人が陛下の前で最終的に決めるわけですね、その人達の中には、朝、奥様のご機嫌が悪くて朝飯を食い損ねた人も居るだろうし、色んな状況の人もいるはずです。それが、いずれにしても、「しょうがないなあ、この結論を出したのは」、ある意味では極めて客観的な結論ですよね。その場の状況に対して最も適切な答えを出したということで、これは「状況依存の論理」です。「状況依存の論理」は、その状況が消えてしまうと説明のしようが無いので、一般性を持ちません。
 でも、日本人はそれを許容してやってきました。だから、それを中国人に説明するとかですね、無理ですよ。特にヨーロッパ人は、そんなものはプリミティブなやり方だと。
 私はそう思ってません、はっきり申し上げて。だけど、「それを別なやり方をあいつらにやれ」とも言いません。せいぜい、「そろそろ「I am a boy」の(I)は取ったらどうか」位は言います。そうすると、もう少し人のことを考えるようになるのではないでしょうか。
 実は、この問題は、今外してしまいましたけど、我々の持っている「意識」が動物とどこが違うかと言う話と非常に深く絡んでいて、人間は動物と違って社会を作ったわけです。
 その根本は何かと言うと「意識」の違いです。「意識」はどこが違うのかと言う説明を、実は一度も聞いたことはないのです。動物の1番大きな特徴は言葉を喋れないことです。
 10年間、「まる」という猫を飼っているのですが、10年ずっと面倒見てますよ、腹が減ったと言うと飯を食わせているのですが、この10年、「ニャー」としか言いません。もう、いい加減喋ってもいいなという気がするのですが、おはようも言わない。どうしてかと考えたことがありませんか?
僕はしつこいたちですから、子供の頃から猫がいましたが、なんで猫はしゃべらないのかとずっと考えてました。結局出てきた結論は、ちょっと面倒臭いのですが、言ってみれば簡単で、動物は言葉を喋らないのは、「同じにする」ことが出来ないからです。
 感覚は違うと検出するのですが、「意識」は同じなのです。同じにするのです。同じにしないと言葉は出てこないのです。何を言ってるのか全然わからないと思うのですが、例えば、犬の好きな人もいますね。私は犬の言葉も分からないのですが、家の犬は家族の誰が名前を呼んでも跳んでいきますから、自分の名前位は最低分かってますよ。そういう犬は大体躾の良い犬ですから。飼い主が居なくなったのを見計らって実験をします。躾が良い犬は「お座り」位は必ず出来るので、何と言うかというと、何でもいいのです。例えば「トマト」と言うと、お座りするのです。分かってないのははっきりしてるのですね。
 どうして、分からないのかと言うと、動物というのは、調べた限りでは、「絶対音感」なんです。皆さん、この中で「絶対音感」の方って独りくらいいるのではないですか?「絶対音感」というものは、小さい頃から楽器の訓練をしないと「絶対音感」は身に付かないらしいですね。これ違うのです。小さい時から訓練しないと動物として持っていた「絶対音感」が消えてしまいます。動物は皆「絶対音感」ですから、赤ん坊は「絶対音感」で、皆さんも小さい時は「絶対音感」だったのです。
 「絶対音感」が分からない人に申し上げますと、うちの姪っ子は「絶対音感」がありまして、ピアノを小さいときからやっていたので、私が行くとですね、私に「絶対音感」が無いのを知っていますから、私が行った時にたまたまカラスが鳴いて、今のカラス鳴き声はこれだよとピアノを弾いて教えてくれる。それが出来る人です。こういう人は、調律が悪くて全部半音ずれているピアノがあるとしますと、それを使っていつも自分が弾いている曲を弾き始めると、その途端に自分が全く新しい曲を弾いていると感じるのだそうです。それは、本人に聞いたことがあります。半音ずれたらもう駄目です。皆さんどうですか? 皆さん方の耳は、音の高さを判定する器官なのです。これは、耳の構造とか生理を調べたらお分かりになるのですが、脳を調べてもそうですが、面倒くさいのでそこは省略致しますが、音の高さを判定する器官ですから。
 動物はどう思っているかと言うと、私が、我が家の猫を「まる」と呼ぶ時は低い声で言いますし、女房や娘が呼ぶ時は高い声で呼ぶのですが、それはもう違う音です。今、ウグイスが鳴き始めましたから、私が外へ行って、ホーホケキョと言っても、ウグイスは一羽も寄ってこないです。それは当たり前で、ウグイスにしてみれば音程がずれているのです。「絶対音感」の有る人ってなにも楽器だけではないですよ。昔から知られてまして、江戸時代に名前が残っていますよ。鳥寄せの名人、草笛作って吹いて鳥を寄せるのです。これは、「絶対音感」がある人です。
 こういう風に考えるようになって私は、人間というのは、音痴って言うじゃないですか、音痴って極めて人間的な能力だと初めて気がつきました。これは、言葉で定義するときちんと定義出来るのです。どういう風に定義するかと言うと、「音の高さは違っていても同じ曲だと信じて歌える能力」を言うのです。これが出来ないと言葉が出来ないです。そうでしょ?いきなり聞こえて来た音で、「同じ」「違う」を判断しますから。だから、動物は感覚に敏感で感覚に依存しているというのです。犬は訓練していない限りここの部屋に連れて来れないのです。何故かと言うと、犬から見ると、不気味な者がこれだけ居るのですよ、私は人ですから、(皆さんを)防大の同窓生だなあと、「同じ」に出来るのですよ。「同じ」に出来るということから人間の能力は、ずっと発展していきます。殆ど僕は説明を聞いたことはありません。
 感覚を無視する能力は、第1に「言葉を使う時」に。例えば私の犬に10を教えようと思って、たまたまこれしか無いからこうやって書くのですが、「しろ」という犬でも良いし、しろという犬に「お前の名前は漢字で書くとこうだぞ」と教えると、犬が怒るのです。分かりますか?犬は「黒」じゃないかと言うのです。(板書で「赤色」で「青」と書いて)皆さんこれ「青」って読みましたでしょ?これ「赤」ですよ。これは屁理屈では無いので、感覚と意識はそれぞれ拮抗してるのですけど、文明人は感覚よりも意識を優先するのです。そうでしょ色を無視してますから。どういう色で書いたって青は青だろって。どういう根拠ですか、それは、意識の方が偉いと言うのは。だから、そこでしょっちゅう問題が起こるのです。それは良いのですが、その次に起こるのはですね・・・だいたい「時間」ですね・・・。何を喋っているのだろうと実は思っているのですが・・・。
 これは、結構根本的な問題です。この「同じ」というのを、皆さんどこで最初に習うかと言うと、小学校ですね。9+3は12と。ごく素直にイコールと言う言葉を覚えましたでしょ?この位はチンパンジーでも分かると思います。だけど進んで、中学校に入ると、途端に算数を嫌になる人がいまして、それは、方程式が出てきて、解くとX=3になったりするのです。まだ、これはいいのですが、論理的に式を解いて行くと、A=Bになったりするのですね。この途端に数学を辞めた方がいるのではないですか、この中に。僕は知ってますよ、ここで(数学)辞めた奴を。理屈を聞くと、「A=Bなら、明日からBという字は要らないだろう。」そうじゃ有りません?そういう無茶苦茶なことを先生に言うと、生徒としては言いたくなるのですが、それを言ったらコツンとやられますから、昔だったら言いません。このイコールが出来るとですね、驚くなかれとんでもないことが出来るのです。B=Aが出来ます。これを「交換の法則」と言います。数学基礎論では。A=BだとB=Aです。当たり前だろってそう思うでしょ?どこでもいいのですが、千葉県の猿が山の中でウサギの死んだのを拾って来て、飼ってた犬が・・・「時間ですね、はい・・・分かってます。」言いたいことはですね、動物は交換が出来ないでしょ?猿がウサギの死んだのを持ってきて、犬がきゅうりを拾って来て、そこで取り替えているのを見たということは無いですね。これが出来ると動物の生活は凄く楽になるのです。
 それをやったのが人です。その交換に、更に頭で考えますから、厳密になって行くと、「脳はお金つまり等価交換」になります。もう一つだけ申し上げます。更に言ったのがですね、「頭の中で、自分と相手を交換することが出来るのが、人だけで有ります。」これは、チンパンジーの子供と自分の子供を一緒に育てた人がいまして、生まれた時は殆ど同じで、3歳まではチンパンジーが全部上。4歳を過ぎた途端に人とチンパンジーに猛烈な差が出来てきます。人はどんどん育つけど、チンパンジーは育ちません。どこが違うか。「人の子供は自分が相手だったら何をするかということを考えに入れることが出来る」のです。「チンパンジーは一生それが出来ません」。
 と言うことで、だいぶん最後の方は端折りましたが、後は、御自分でお考え頂きたいということで、よろしくお願い致します。どうも、ご清聴ありがとうございました。
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