新入生(62期生)に対するOBの講話
2014.06.04
1 春の小原台 記念講堂へ(広報係のひそかな高揚感)
平成26年4月7日(月)午後、久方ぶりに訪れた母校は晴れ渡った空のもと桜が咲き誇っていた。当日は、4月5日(土)の入校式を経てオリエンテーション中の新1学年62期生に対しOB特別講話が実施されると聞き、是非とも同窓会機関誌に掲載したいと考え、小原台を訪れた。
溌剌とした歩調で近づいて来る濃紺の隊列を見れば、各学生の袖筋に桜無く、制帽の下に初々しい表情を垣間見た。想いは一気に時間を遡り、我が23期生の入校直後に感じた期待と不安を体全体で感じた。遠い昔のごとく、昨日のごとく、忘れていた防大入校直後の緊張感が蘇った。「あの頃と何も変わっていない。」年甲斐もなく、新入1学年の隊列を見て、胸が高鳴った。防大同窓会広報係として、自らの防大入校以降40年近い年月を想いつつ記事を書ける事にひそかな高揚感を覚えながら、記念講堂へ向かった。
2 OB特別講話(記念講堂において空自、海自、陸自の順で講話が行われた。)
陸海空各自衛隊においてその職責を果たし退官された21期生が講師となり、防衛大学校入校から40余年にわたる自衛官人生等において感得した想いや考え方を、これから一歩踏み出そうとする若き後輩達に語りかけた。
特別講話実施前に撮影された、本館前の記念撮影と特別講師御三方のスナップ写真を紹介する。
(1) 航空自衛隊OB 彌田清氏(元航空支援集団司令官)
【演題】チャレンジする事
静かに演台を左右に歩みつつ、語りかけは始まった。
「私は、幸運にも自らの夢であった戦闘機パイロットの道に進めましたが、実は、防大入校時の身体適正検査において鼻腔の異常を指摘されました。夏休みの帰省時、どうしてもパイロットへの夢が捨てきれず故郷大分の病院で相談したところ、初老でおそらく先の戦争経験者であったろう先生は『君は国のために働くのか』と問いかけ、そして手術をしてくれました。それまで大空を飛びたい想いは十二分に持っていましたが『国のため~』等とは考えた事も無かった私でした。帰校後、防大の医官からは勝手に手術を受けた事に対し『バカヤロー。君の防大生としての身体がどれ程大切なものか分かっているのか。』と指導されました。『防衛大学校の学生とは~。幹部自衛官とは何か。』を考える契機となる最初の出来事でした。」
導入部分で、自らの防大1学年時を回顧した後、檀上を降り聴講する学生に近づき顔を見つめながら「入校後、7日間過ごした小原台の生活」について質問しつつ話を進めた。
「これからの人生において、必ずしも当初の思い描いた通りにならない事もあるでしょう。しかし、『その時、その場所で何を頑張るべきか』を考え行動する事が大切です。防大生活の3本柱である勉学・学生舎生活・校友会も同様。勉学は真理を探究し問題解決法を学び、人間教育にまで至ります。規律と自主自律を重んずる防大生活は、時として自由を束縛し『金太郎あめ』の様な画一的な人間を作る様に見えるかもしれません。しかし、その束縛された様な土壌から、いずれ個性の花は咲くのです。
明治の時代に『坂の上の雲』を追い求めるごとく、社会や組織を支え、国家の危機にあってリーダーシップを発揮した人達がいました。防大の学生も同様に、これからの日本を支えていくために資質を磨き力を蓄えねばなりません。『目の前にある危機を解決するのは何時か。今、現在のその時である。』君主論を著したマキャベリの言葉だそうです。国家の危機管理において貢献する志を持って防大生活を開始した諸君にとって、目の前のチャレンジすべき事に全力で立ち向かう姿こそ重要です。
この小原台においては、言われた事にただ従うのではなく、自ら考え、自ら創造し、眼前の試練に主体的にチャレンジして欲しいと思います。今、その時を大切にしながら、頑張ってください。」
(2)海上自衛隊OB 河村克則氏(元横須賀地方総監)
【演題】将来の部隊指揮官への応援メッセージ
演台の中央に位置し、将来の部隊指揮官として新入1学年を見つめながら話は始まった。
「私は、海上自衛隊の対潜哨戒機のパイロットとして任務につきました。最初の任地は岩国基地でしたが、4年間の勤務期間中にPS-1型飛行艇が2度にわたり墜落し23名の仲間を失ったのです。部隊の全搭乗員数の1/6が殉職する異例の大事故でした。残された遺族の哀しみ、様々な人間模様を見る中でいくつかの学び習慣付けた事がありました。第1に『自分がいなくなっても家族等が困らぬ様に準備し、身を処する事。』第2に『不測事態に対する心構えとして、帰宅したら、まず明日の出勤の準備を直ぐやる事。』です。
そして、最も重要な事柄は、航空部隊における飛行安全と任務遂行に目覚めた事であり、その達成の核心に指揮官の存在があるという自覚でした。
諸君は、これから防大4年間の試練を越えていくスタートに付いたばかりで、艦長とか航空部隊の指揮官など遠い夢の対象と思えるかもしれません。しかし、防大の生活を始めた以上、日々の試練のその先に部隊指揮官としての心構えに関するイメージがあっても良いのではないでしょうか。諸君のこれからの頑張りにエールを送る気持ちを込めて『指揮官の心構え』についてお話します。」
防大卒業後の目覚めと自覚そしてその後の長きにわたる指揮官経験を踏まえ、以下の項目が語られた。
① 強い部隊にするためには
・ 隊員一人ひとりが貴重な戦力(部下をつぶすのは最低)
・ 部隊は一本の槍、槍の柄(後方支援)のモチベーション高揚
・ 自分達の部隊のチェック(自ら弱点を知り、解決策を模索、実行)
・ 仲間を大切にする気持ちの醸造(仲間を助ける気持ち)
・ 後輩に良いもの(意識、体制等)を残そうとする気持ちの醸造
② 事故を防止するためには
・ 創造型人間の育成(自分ならどうするという気持ち)
・ 自主自律心の育成(自主自律の人は事故を起こし難い)
③ 戦いにおいて勝利するためには
・ 頭を使え(頭を使わない海軍は負ける)
④ 支持基盤を固めるためには
・ 地元民への誠意(部隊見学とは隊員を見てもらうこと)
・ 支援団体・支持者(自衛隊の代弁者)への誠意
⑤ 部隊を率いていくためには
・ エネルギーと忍耐力が必要(「指示→実施→確認の繰り返し」)
・ 指揮官の妥協は禁物(もうイイヤと思ったら部下は止まる)
(3)陸上自衛隊OB 千葉德次郎氏(元北部方面総監)
【演題】小原台でやるべきこと「防大生活4年間の使い方」
「防大やめます」開口一番、檀上から明瞭闊達な声が響きわたり、やや驚いた表情の1学年を前に講話が始まった。
「室長・サブ長に『私の思っていた防大と違うのでやめます』と申し出て、室長から『おまえは、まだ防大が何かを分かっていない。1年間過ごしてから結論を出せ』と遺留され、私の防大生活が始まりました。今日は、自分を振り返り防大時代の位置づけについてお話します。
まず、皆さんが目指している自衛官(自衛隊)に対する国民の評価を見てみましょう。昭和44年からの政府広報室の調査によれば、時代により紆余曲折があるものの上昇傾向を示し国民の自衛隊に対する印象は『良い印象を持っている』が91.7%(24.1調査)であり、『信頼感に関する調査』においても、社会的責任の重い10個の団体・機関において一番高いもの(中央調査社2012.8)となっています。皆さんが自衛官になるという自己実現は、そのまま国民の安全と幸福に繋がり、その信頼されている自衛隊の幹部となる人材を養成するのがこの防大です。
この小原台での、国民を裏切らない、信頼されるに足る人としての『器の基礎造り』こそが、防大4年間の使い方として最も重要な事柄だと思います。
器で大事なことはバランスが取れていて物を入れた時に引っくり返らないことです。人の器は、知・徳・体の三要素からなり、バランスを取りながら器を拡げるためには、伸びている部分を削るのではなく、足りない所を伸ばす努力が大切と思います。極端な言い回しですが、『知』は一夜漬で、『体』は強化合宿で伸ばせますが、『徳』は継続した日々の実践でのみ伸びます。防大生の知・徳・体は、防大三本柱の学業・学生舎・校友会のバランスある実践を通じて伸びてゆきます。皆さんが目指すべき器の身近な目標は、最上級生たる4学年の姿です。(時として、反面教師の場合もありますが~。)ライバルは、外国士官候補生。成長指標は、同期生からの評価です。
日々の実践における具体的なポイントは三つ。第一は『挨拶』。挨拶とは、敬礼と違い人間の所作としての行為であり、下の者に対しても自ら率先して行うものです。第二は『思い遣りの心(惻隠)』。弱者に優しく、人の痛みを自分の痛みとする心を持つことです。第三は『自律(慎独)』。私心を捨て表裏の無い行動を取り、迷ったら厳しい道を選ぶ。まさに自分との闘いです。
この様な実践の有り様を常に思い描きながら、防大生活の4年間を使っていけば、皆さんの器の基礎は、初代槇校長が言われた『偏することなき均衡のとれたもの』になると思います。そして、この器造りは生涯を通じて行う『人としての任』たるべきものであり、皆さんは信頼される幹部自衛官としての器造りをスタートしたのです。『任重くして、道遠し。』これからの健闘を祈念します。頑張ってください。」
講話の最後に、講師自らの連絡先を伝え、防大生活で思い悩んだら、常に先輩として相談に乗るからと声を掛け、檀上を後にした。
3 現役先輩達のラインアップ
防大幹事 岡部俊哉陸将
<5期毎のステップアップ>
陸海空3名の講師によるOB講話が終了した後、幹事が檀上に上がり、背伸び肩回し等の体操を1学年全員にさせ体の緊張を和らげた。その後、自らの学生時代被っていた防大制帽を取り出し、約30余年前の学生時代を振り返りつつ、一人の学生を呼んだ。
一瞬驚いて起立し檀上へ駆け上がってきたその学生に「○○君。よく防大に入校してくれた。俺の事を覚えているか。4月1日、着校日の早朝に正門横のバス停で会っただろ。体操服を着て、ランニング中だった俺と話をしたね。」この会話に講堂全体の張りつめた空気がやや和いだ。
「OB大先輩のお話を、君達のこれから進む防大生活やその先の自衛官人生に具体的な姿で結び付けられる様に、防大卒業以降の幹部自衛官像をこれから現示する。○○君は、そのまま檀上の端に寄れ。訓練部長以下、指導官等登壇。」訓練部長の伊藤弘海将補以下6名の尉官から将官にいたる横一線のラインが第1学年○○学生の右側に作られた。
幹事自身もその最右翼に位置し「今、○○君の横に、当校に現在在職する防大出身の指導官、教官等に並んでもらった。私や訓練部長を含め、尉官、佐官、将官、そして先程、お話をしていただいた21期の先輩まで、防大卒業時を起点として概ね5期毎、5年刻みでラインを作ってみた。この線上をこれから諸君は歩んで行くこととなる。62期生はまさにそのスタートに立ったところだ。
これからの防大生活や幹部自衛官としての人生に不安を抱いている者もあるだろう。確かに、小原台生活や幹部自衛官としての道程には多くの試練があり、高く険しい峠を越えて行かねばならない。国家の安全を支え、部下やその家族にも想いを馳せ身を処する事は、大変なことだ。
しかし、先輩、同期、後輩に連なる一線上に身を置くと、不思議に勇気や力が湧いてくる。上級生を目標に前進し、同期で助け合い、下級生の模範になる様に日々過ごすことで自然にステップアップしていくものだ。今、君達の目の前に並んでいる若い小隊指導官から5期毎に年を重ねる先輩の姿の中に、これからの道程を思い描いてもらいたい。」
この幹事の話に引き継き、檀上に並んだ防大出身の幹部が逐次自らの自衛官として経験した内容を紹介した。62期生にとっては、OB特別講話と併せて防大生が歩む道程を具体的な姿として感じ取れる入校オリエンテーションに相応しい機会となった。
4 濃紺の長き線(広報係の追想)
講話の内容を聞き逃す事のない様メモを走らせ、写真を撮るうちに2時間余がたちまち過ぎた。この講話で入校オリエンテーションは終了し、明日から62期生の本格的な小原台生活が始まる。
突然、40年近く前の記憶が浮かんだ。新入23期生に対する映画鑑賞会(夜の自習時間中)があり、The Long Gray Line(長い灰色の線)を見た事を思い出した。ウエストポイントの士官候補生及び卒業生達の人間群像を40年に渡って学校に奉職した助教が見守ったストーリー。時間に追われつつ様々な悩みを越えて行く候補生の姿に小原台の日々を重ね合わせた。助教の退官日に、候補生達によるパレードが挙行され、灰色の制服の長い隊列が続いていく。彼の脳裏に、時空を超えて灰色の制服を着た様々な候補生達が一線に並び現れ消えた。
この映画エンディングのイメージが、聴講した「器造りのライバルは外国士官候補生」「5期毎のステップアップ」により、想い出されたのか。防大の歴史も60有余年。防大「長き濃紺の線」の歴史と伝統の流れの中に、多くの群像が襷を受け渡しつつ一線上に連なっていく。その流れの中に、ささやかな砂粒ながら自分も居ると思うと誇らしい想いが沸き起こった。
小原台から浦賀駅までの道筋は、我が入校直後、初めての引率外出で室長やサブ長に教えてもらったルートを選ぶ。「62期生がその職責を果たしOB講話をする新1学年は?」「100期生ぐらいかな。」何とも楽しく大いなる追想だなと想いつつ駅への坂を下った。(同窓会広報担当 23期 杉山伸樹記)